見出し画像

片言隻句~素直に内観~

義以て質と為し、礼以てこれを行ない、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。」#論語#金谷治#孔子

現代語訳→                            

"正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって口をあらわし、 誠実によってしあげる。君子だね。"


全く、またありがたい言葉をもらった、この文章を読んで背筋が伸びたのはきっと僕だけではないでしょう。しかしながら、僕は、金谷さんの現代語訳において、少し付け加えたい言葉があります。それは、"正義をもとにしながら、礼によって行い、謙遜によって口をあらわし、 誠実によって義をしあげる。君子だね。"

現代語訳では誠実:私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。を用いて、何を成すかは曖昧にされている。少なくともそこが論語の醍醐味だということは承知の上なのですが、今の僕の感性にはここに義を当てはめたいということです。つまり、己の学んだ正義で自分を立て、礼(自分を鑑み、相手を知り、社会的調和をめざす作法)によって実行し、決して偉そうに振る舞うことはせず、己の義に誠実であることでしあげる。このように僕は思います。自分がこのように解釈を施す理由に関して、疑問にも持つ方もいると思いますが、第三者が客観的に訳した言葉を、自分が解釈したとしても、その言葉は第三者の言葉であって、論語の言葉ではない。そのため、第三者の解釈はあくまで補足とし、自分の言葉で置き換え、論語を主体的に解釈することが大切なのだと思います。これは、現代社会や歴史を学ぶことにおいても極めて重要な考え方だと思います。話がだいぶそれてしまい申し訳ないのですが、話を戻し、なぜ僕が義を加えたのは、礼や謙遜などより、義が最も大切だと感じているからです。もちろん、礼や謙遜をそんなに大切じゃないといっているのではありません。ただ、ときには礼や謙遜を押しのけてまで義を成すということが人生において大切だと思うからです。つまり、礼や謙遜に対して義が二項対立的に対立しているときに義を選べなければだめだ。そう僕は考えている。そのくらいの推進力が今の時代必要ではないでしょうか。だからこそ、誠実は義に対してであるべきだと思います。

つくづく、先人のお話は片言隻句さえも忘れがたい。このような重みのある言葉に出会うことが少ない今、自身を知るために先哲の書に触れる機会を作ってみてはいかがでしょうか。

最後まで読んで頂きありがとうございます。まだまだ未熟者ですが一生懸命書いていこうと思います。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?