「文舵」 練習問題 (その1)

ル=グイン著「文体の舵を取れ」の練習問題に対するワークです

〈 第1章 練習問題① 「文はうきうきと」 問1 〉

例の古い楽器に当たってしまったので「今日の墓参りには行かないよ」と姉に伝えた。今夜の公演までちゃんと鳴るようにしなきゃいけないから仕方ない。姉は電話先で説教じみたことを延々。悪いのは俺だからひと通り我慢して聞き、何度も謝った。勘違いしないで、墓参りをナメてる訳じゃないんだ。プリンパという楽器は吹き口に錫の薄いリードが固定されている。リードは取り替えないからこれまでの奏者全員の癖が積み重ねられ刻まれてる。吹きにくいし鳴りにくいのだ。こいつは十六世紀のはじめに造られて十数人の伝説的名人が大事にしていたことで有名な楽器。十八世紀には東欧の小さな歌劇場が買い取り、丁寧に手入れされながら歴代のソリストに受け継がれていった。二つの大戦では疎開を繰り返し大学やホール、歌劇場を転々としたという。オークションで中国人コレクターが落札してから七十年余りは、一切息を吹き込まれないまま保管されていた。うちの楽団に寄付されたのは一ヶ月程度前、個人的には父親が死んだ翌月だった。楽団長はそれがたいそう嬉しかったようで今月の演奏会で披露すると息巻いていたが、当の奏者パートにとっては迷惑でしかない。いろいろ面倒なやりとりや駆け引きがあって、結局俺にお鉢が回ってきた。ホント、こんな楽器で自分の演奏なんてできる訳がない。クソ面倒だ。とりあえず楽器を取り出し全体を分解掃除してから組み直し念のためリードをアルコールで消毒した後に、ゆっくり息を吹き込んでみる。鳴らない。正確には自分の音楽が鳴らない。キザな話ではなく、楽器に染み付いた誰かの癖にまみれた演奏になってしまうのだ。ソロパートを吹く。これも誰かの癖だ。何なんだこの解釈は。本番まで数時間しかないのに。なんとか楽器をコントロールしようと、基礎練習のスケールやアルペジオを繰り返す。俺だって名だたるコンテストで良い成績を残してきたんだから楽器なんてすぐに制御できるさ。楽器が勝手に鳴らす癖と自分の演奏との戦いに疲れて辟易とし始めた頃、やっと多少「鳴ってる」と感じられるようになった。「よし、こいつを制御できる」という自信を持つことができたのはいいが、今度は俺の演奏に対し、楽器から歴代の何百人もの奏者たちの、助言や忠告、批判や悪口がごちゃごちゃと吹き出してくる。調子に乗って姉もなんか喋っている。あんまりうるさいから「ふざけるな、お前らの時代とはは違うんだよ」と叫ぶと、練習室にいた他の楽団員全員が一斉に「下手くそ!」と。クソっ、こんな事ならちゃんと墓参りに行っときゃ良かった。

(1055w)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?