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偉人達の教育観(No.2 新渡戸稲造)

こんにちは。
教育学研究者の卵をしています。

以前、福沢諭吉の教育の目的について語られた本を読み、まとめました。
今回は、「武士道」の著者で、5000円札にのっていたこともある
新渡戸稲造の考えた「教育の目的」についてまとめていこうと思います。

彼は、教育の目的を5つ挙げています。

①職業
②道楽
③装飾
④真理研究
⑤人格修養

これから1つずつ例をあげて説明しますね。

職業

新渡戸稲造は一時期、ドイツに留学をしていました。そのときに、ドイツの教育についても見ていたのでしょう。ドイツでは、徒弟制度というものが根付いていました。例えば、靴をつくる職人がいて、そこに10歳くらいの年齢で弟子入りをして、職人のもとで技術を学び、「職人の技術を学ぶこと」が「教育」の1つでした。日本も昔は、小さい頃から親方のもとで、職人の技術を学ぶことが普通でした。現在も、職業的技術を学ぶために美容師の専門学校などがありますね。
このように、「職業人」を育成することが教育の1つの目的として挙げられています。

道楽

道楽とは、「その道を楽しむ」ということです。つまり「学問を楽しむこと」も教育の目的としています。例えば、クイズ番組をイメージします。クイズは、1問1答のことが多いので、体系的な学問とは言えないかもしれません。しかし、あのように、知識を使って物事を考えたり、新しい知識や知見を得ることは、単純に「楽しい」のです。そして、「学ぶことが楽しい」と感じられるように教育することが大切だと語られています。

装飾

装飾と聞くと、多くの場合、指輪やネックレスなどのアクセサリーであったり、すてきな服をイメージするかと思います。ここでいう装飾も同様です。しかし、「もの」で自分を着飾るのではなく、教育によって培われた教養や立ち振る舞いによって、自分を装飾するのです。考えてみてください。「礼儀もなっていない、いつも同じ話ばかりする人」と「いつも丁寧に人と接し、いろんなことを学んでいて話のバリエーションが豊富な人」のどちらと一緒に過ごしたいですか?私は後者です。
このように、自らを装飾するために教育があると語っています。

真理探究

真理を探究することは学問をやる人にとって、とても重要なことです。数学者にとって、数学の未解決問題を解決し、数学世界の真理を見つけることが最上の目標といっても過言ではありません。他にも、私たちの脳について、まだわかっていないことがたくさんあります。それらを探し、すべてのこと、言い換えれば「真理」を解き明かしたいのです。そのために脳科学者は日夜、研究を続けています。そして、そうした真理を探究するための手がかりは、教育によって学問を学ぶことが最低条件だと思います。
「知らないことを知りたい」という欲求は、人間がもっている欲求のなかでも上位にくるのではないでしょうか。

人格修養

新渡戸稲造は、この「教育や学問によって人格を修養し、高尚なものにする」ことこそ、もっとも大事な教育の目的だと言っています。
これまで、「職業」のためや「真理探究」のためと語ってきましたが、
「人間は職業をするためや真理を追い求めるための道具ではない。」とも言っています。人間は孤立しては生きていくことが難しく、これまでに挙げられた目的のどれか1つを意識しすぎて専門性を高めすぎてしまうと孤立しやすくなります。例えば、数学を深く研究するあまり、誰とも交流をせず、家に引きこもってしまうというような状態です。
彼は、この「人格修養」を言い換えて、「誰とでも相応に談話ができて、円満に人々と交際をして行けること」がもっとも大切で、そんな人間を育てることが学問や教育の最大の目的だと考えています。

私も、最後に語られた
誰とでも相応に談話ができて、円満に人々と交際をして行ける人」を育てることは大切だと思います。例えば、算数をまったく勉強しなければ、買い物ができず、レジでコミュニケーションができません。他にも、英語ができれば、異国の人と交流ができ、自分たちにはない考え方を学ぶことができます。このように教育は、人とかかわるためやさらに学びを深めるために必要なものであり、かつ、教育をするものは、それを意識しながら学問を伝え、共に学んでいくという姿勢を大切にしなくてはいけないなと感じました。


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