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僕のこと

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極めて平凡な一般男性に関する記述
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記事一覧

#1

目の前に山があります。山の向こうには何があるかわかりません。 あなたならどうしますか? 僕は何年か前から決めてまして。 目の前の山には登ろうと。 例えば向こう側が地獄だったとして それでもその情報を知ったら 僕は確かめずにはいられない。 登り切った時僕は何を感じるのか。 視界が変わるという物理的な変化を経て 僕のこころはどう変わるのか知りたい。 僕はそれを自分の目で確かめたい。 fin.

【痛】けがの話

親譲りの無鉄砲で小さいころからケガばかりしている。 記憶にある中で一番古いのは年長さんの時 自分の背丈の2倍もあるアロエに戦いを挑んだ(無謀) 僕の放った渾身の右上段蹴りは アロエの側面にヒット リリースと同時に僕の右脛は切り裂かれ その場で出血 そのショックでバランスを崩し全身を強打 おばあちゃんに包帯を巻いてもらったのを覚えている (当時アロエだと思っていたのはリュウゼツランという花をみると幸運になる花らしくそんな尊い花に戦いを挑んだ当然の報いといえる。) なぜ戦いを

【辞】部活をやめた。その事実だけが残った。

あなたには家族以外に盆と正月に必ず会うひとがいるだろうか。 ありがたいことに僕にはいる。 高校時代1年だけ所属した部活の同期たちだ。 なかには中学の頃からの付き合いのやつもいる。 高校1年の11月、僕は突然部活をやめた。 理由はと聞かれれば、大好きだったサッカーが嫌になったとしかいえない。 中間テスト最終日、明日からサッカーが始まると思った瞬間他のことに一切がつかなくなるほど絶望感が僕を襲った。 直感的に悟った。あぁもうダメだと。 そこからは早かった。 その月のう

16年前の自分からの手紙はいつしかネットの海を漂ってpart 1

今日は「書く」ことについて書いてみる 僕の場合、「書く」ことの持つ力、特に「書き続けること」の力を感じたエピソードとしてサッカーノートとの出会いが思い浮かぶ。 だから僕とサッカーノートの物語を書くことは僕にとって「書く」ことを書くのと同義だ。 僕とサッカーノートの物語を書く前に、僕とサッカーとの出会いから書かせて欲しい。 2002年。サッカー日韓ワールドカップ。 僕は何とは無しにテレビで見ていた。 中村俊輔選手他、日本代表選手のプレーする姿を、子ども心にカッコいい

【ニ】16年前の自分からの手紙はいつしかネットの海を漂ってpart2

中学の部活で課されたサッカーノートを機に、書くこと、自分を分析することを始めた。 そのまま時は流れ、高校でもサッカー部に入った。 高校時代の経験は、良くも悪くも多くの影響を残すというのはつかい古された表現だが、例に漏れず僕もそうだった。 まずは以前書いたが部活をやめたこと。 途中で投げ出したことのなかった自分が初めて勉強と部活のどちらかを選ぶ決心をした経験だった。 もう一つは「優等生」ではなくあったこと。 自慢に聞こえるだろうが小中と成績はよかった。 いわゆる優等

#5

男子3日見ずば刮目してみよ。 男子に限ったことではないけれど、人がずっと同じであり続けることはとても難しいんだと思う。 久しぶりに会った友人の性格が変わっていると感じたり、親戚の子の身長がグッと伸びているのに気づいたり。 そういった人たちに会うと相手の違いに気づくとと同時に自分も変わっているということに気づく。 そして思わぬ発見もしていく。 その発見によって自分の今までの予定や方向性を変える決心がつくときもあるし、変わらない部分を実感することもある。 僕は弱い。意

休み明け学校に行きたくなくて死にそうなやつはこれを聞け。そして読め。

更新が空きました。 お久しぶりです。 井の中秀政です。 現実世界が忙しすぎて(自分的に)なかなか更新できませんでした。 けどふとさっき時計を見たら夏休みの最後の日 月曜から学校ですね。 学生のみんないやですか? 嫌ですよね。 嫌すぎてこの日に自殺するひとが増えるんですもんね。 もしこれをみた人でそんな気持ちの人がいたら言っておきたい。 今日はそんな君たちのためだけに書く。 一番伝えたいメッセージはひとつ。 「死なないで」 お願い。これは君自身のためと

クリスマスなんて嫌いだった

僕にはながらくクリスマスを家族と祝った記憶がなかった。 僕の実家はケーキ屋さんをやっていた。(今はもうやめてしまったけど) 自慢じゃないけど、近所ではそれなりに評判のいい店だった。 いうまでもないが、クリスマスは掻きいれ時でケーキの予約がいっぱい入る。 クリスマス1週間前ともなると我が家の厨房は戦場と化す。 スポンジを焼きまくり、クリームを塗りたくり、きれいに切ったイチゴなりチョコなりを飾り付けていく様からは想像もつかないほど。 まだ幼い僕はクリスマス商戦を乗り切

それは空っぽの瓶に手紙をいれて海に流すようなもの

これは2019年の僕、井の中秀政の所信表明です。 僕にとって2018年はLINKの年だったと思う。 いや、間違いなくそうだ。 僕は去年6月から学生ジャーナルLINK(リンク)に参加している。 そしてLINKでの活動は僕が学生である3月までとなっている。 まずはlinkでの井の中秀政について抱負を 述べようと思う。 LINKは何を伝えるのか。 LINKでは社会問題からサブカルチャーまで、 関西の現役学生が「今」考えていることを発信している。 現在編集部は4名で、この

根っこを忘れない

せっかくの有給だってのに、月曜の昼からサイゼでシナモンフォッカチオを食べている イヤホンからは推しのアイドルが流れる やってることは好きなヒップホッパーの真似 そのヒップホッパーはラジオで知った 今でもラジオは毎週聴いてる -入社して9カ月 仕事は楽しいし、これからだけど たぶん今の自分がホントの姿 「暇な男子大学生」な時間が これからも、 たまにはあっていいと思う というお話。

【文】あなた変よ

(何で誰にも強制されてないないのに書いているの?) (ネットにあげてもみる人なんてたかが知れてるじゃない。) 違うんだよ。 どれくらいの人に届くとか、そんな次元でやっちゃいないんだ。 必要としている人間の深く深く潜って届ける。 そいつは多分あの時の俺なんだ。 (ある日の夢の中より)

9年目の再会

年の瀬だからだろうか。 急に昔のことを振り返りたくなっちゃう。 普段は新曲大好き人間のはずなのに、昔好きだった曲も聴きながら移動する時間がここ最近増えた。 小学校を卒業したあたりから、外に出るときにはイヤホンとプレーヤーを離したことがない。 気付いたらそんな習慣がついて10年もたっていた。ということに今日気づいて驚いた。 10年音楽をつまみ食いしていたら、昔ハマったあの曲の作者と巡り巡って再会するなんてことがボチボチ起きている。 今日なんか一番初めに買ったCDのアー

9年目の再会②

パート2なんです。 どうも。見た目は絶望、中身は希望。 えもちゅうです。 前回同じタイトルでBURNOUT SYNDROMEとの再会を語ったわけですが、今回もそんな感じです。 今日紹介するのはこちら。 「EIGHT BEAT詩」/ Base Ball Bear きっと湯浅氏に、そして僕らに 新生ベボベが1つの完成形になったよというか、できたよ!っていう宣言な気がする。 僕とベボベとの出会いはラジオでした。 特に「新呼吸」はレンタル派の僕が待ちきれなくて買ったった

6歳の春。人生最初の敗北。

5/5。子供の日である。世間はいわゆるGW。今年は「ゴールデンウィーク」ではなく、コロナのおかげで休みなのに外出を我慢する、「我慢ウィーク」なんて言われてるらしい。ちなみにこの文章は密集密閉密接のいわゆる、三密を避け、感染症の予防に十分配慮した形で書かれている。(ごめん、言いたすぎた)。ゴールデンウィークに限らず、大型連休は人混みを避けて家に引きこもっている。撮りためたドラマを見たり、ゲームをしたりしつつ、一方でランニングや散歩なんかするのも天気が良くていいんじゃないのと思い