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あおそこひと闘う◆気持ちコントロール◆できることに集中する・楽しむ

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ひでまるgglです

妖怪退治のようなタイトルですが、違います

あおそこひ、とは何ぞや

あおそこひ、とは、緑内障という目の病気の俗称です

そこひは、眼球内の病気の俗称、緑内障は、瞳孔が青く見えることもあったため、あおそこひ、となったようです

緑内障は、眼球内にある視神経が萎縮し、視野が狭くなったり、視感度が低下する病気です

治療や視神経の強弱により、症状や進行度合いは、個人差が大きく、人それぞれです

緑内障は、日本人の失明原因の第1位とのこと

残念ながら、萎縮した視神経を復活させる治療法は見つかっていないです

眼圧をコントロールして、視神経を延命させるのが、治療の考え方です

人それぞれ、向き合っている闘いがあると思うのですが、これも、その闘いの1つで、その中の1コマです

どなたの目に留まるか分かりませんが、40歳以上の20人に1人が緑内障とも言われています

いつか緑内障と闘われる際の参考になると嬉しいです

【あおそこひとの闘い】

緑内障で傷んだ視神経は回復しない、というのが定説です

ですが、新しい治療法が発見、開発される、と願っています

そして、いまだに分からない、日々の視界の変動に影響する【何か】を探しています

あおそこひとの闘いには、気持ちのコントロールが必要です

イギリスの理論物理学者の故スティーヴン・ウィリアム・ホーキング博士の名言があります

ホーキング博士は、ブラックホールの研究で有名科学者ですが、大学時代に発症した筋ジストロフィーが進行し、車椅子の科学者として有名

I try to lead as normal a life as possible, and not regret the things it prevents me from doing.

【日本語訳】
人生は、できることに集中することであり、できないことを悔やむことではない

まだ、できることがある、それが闘いのエネルギーにできます

また、自分の闘いのエネルギーは、それだけではありません

自分と同じ緑内障で中途失明した父がいます

父は、66歳で中途失明し、現在85歳です

息子の自分が経済的に自立して、父もほっとしただろうという時に失明しました

父は、自宅の一階でやっていた定食屋を閉め、年金生活をしようという時に、緑内障がひどくなりました

さぞ落ち込んで、鬱になるのでは、との心配をよそに、父は違いました

実家に帰ると、母に代わり、掃除機をかけてるんだ、洗濯物を干してるんだ、と明るく自慢をしていました

それからも変わらず、後ろ向きの感情を持つことなく、歳を重ねています

そんな父を見てきたので、闘いの結末はあまり考えずに、【今】できることを楽しんでいます



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闘いの戦況は、下記のような状況です

簡単に言うと、左目は、視野の中心部が見えず、片目では文字が読めないです

ですが、右目の視力が0.5程度あるため、文字は読めます

但し、全体的にかすんだような見え方になっています

右目の視野の中心部のピンポイントでは視力があっても、その周りは、部分的にかすんでいます

そのため、例えば人の顔全体は明瞭に見えない状況です

調子が悪い日は、1メートル位離れた人の顔や表情が見えず、識別やコミュニケーションに困る時があります

特に、目元しか露出しないマスク生活では、声を聞くまで、誰がいるのか、分からない時があります

そんな状況でも、何とか仕事は継続できています

幸い、細かい数字を扱う仕事の担当からは、外してもらうことができました

現状は、ノートパソコンの隣に大きいモニターを置いて、事務仕事ができています

職場での過剰な気遣いを避けるため、目があまり良くない、という状況だけで、詳細の見え方については、職場に伝えていません

その時が来るまで、見えなさ具合を細かくアピールするのは避けたいと考えています

同じ状況であれば、多くの人がそうしたいと思うのでは、と思います

【緑内障の始まり】

緑内障は、視視神経の束が細くなっていく病気だと、最近の症状で実感しています

ですが、緑内障の始まりは、自覚がない位の視野検査の結果でした

30代で緑内障と診断された時、眼圧は左右と20mmHg位で正常とされる範囲でした

緑内障は、眼圧が高いと発症するリスクが高いと言われますが、自分のように10~20mmHgの正常眼圧内でも発症します

緑内障を発症する、しないは、遺伝による視神経の強弱の影響も大きいと言われます

それまで、父が緑内障とは知らなかったのですが、若い頃より、見えづらそうだったのは、緑内障だったのだ、と思い当たりました


【緑内障の手術】

現状、視神経のダメージを軽減するには、眼圧を低めにコントロールする事が一番と言われます

目薬により、眼圧は16mmHg程度に低下していましたが、視野狭窄は徐々に進行しました

現在の眼圧は、目薬を使用している右目11mmHg、左目8mmHg位ですが、これは、眼圧を下げる手術をしたためです

手術は、眼球に穴を開け、眼球内の房水を逃がすバイパスを形成する手術です

結果的に、両目に差していた4種類の目薬は右目のみの2種類に減らせました

緑内障の手術を行うのは、目薬で眼圧を下げでも、視野狭窄が進む場合です

自分が手術に踏み切ったのも、目薬による眼圧では、視野狭窄が止められなかったからです

ただ、視野狭窄の進行が一般に、言われるように、周辺部から徐々に進んでいたら、もっと先延ばしにしたかもしれません

手術を決めたのは、左目の中心部の視野が欠けたのに気づいたからです

左目だけでは、文字が読めなくなり、焦りました

右目も中心視野欠損となったら、文字が読めなくなる

そのため、右目の眼圧を最大限下げよう、と手術を決めました

参考まで、手術は、線維柱帯切除術(トラベクレクトミー)という手術を受けました

自分の手術した病院は、9泊10日の入院手術でした

片目ずつ、約2ヶ月間隔で、右目、左目の順で手術をしました




◆◆◆闘い履歴◆◆◆◆◆◆
30代 目薬開始左右眼圧16mmHg
40代 目薬4種類まで追加
48歳 左目中心視野欠け手術決意
48歳  9ヶ月右目手術11mmHg
48歳11ヶ月左目手術  8mmHg
48歳手術後 右目のみ目薬2種類
52歳 眼圧変わらず

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