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Life StoryⅡ 若年出産の育児

「若く産んで、苦労したでしょ?」
何度も聞かれた質問。


逆に聞きたい。


苦労のない育児


なんてあるのかな。



親になるのに、年齢は関係ない

振り返ってみると
私にとって育児は
最幸の時間だったと思う


我が子は本当にかわいい。
息子がいれば、どんなことも頑張れた。
どんな疲れも、寝顔で吹っ飛ぶ。


我が子を愛おしく思い

抱きしめることで

愛情を表現する



そんな当たり前なことが
当たり前のようにできたのは



両親のおかげだと思う



人はもらった分の愛情しか返せない



自分が愛されて育ったことを
我が子を育てることで
知った



それに、育児においては
息子が一歳なら
ママも一歳。


生まれて初めて
人間をしている子どもと、


生まれて初めて
母親をしている人間で、



何もかもうまくいく
わけがない



17歳で産んでも、
35歳で産んでも、
たいして変わらない。


親になるのに
年齢は関係ない。



若いからこそ、得たもの

私の育児は
周りの人から見れば


子どもが
子どもを育てている状態



いつも心配された


そのおかげで
たくさん助けてもらった


両親、兄弟、
友達、近所の人。
通りすがりの人。


色んな人が
オムツを代えて
抱っこして
一緒に遊んで
お喋りして

親代わりになってくれた




私は若くして母親になったけど
一人で育てていない


「子育て」は「孤育て」


そんな表現をされる社会を知った時
自分ががどれだけ
恵まれていたのかを
初めて知った




若いからこその、弱み

そんな私の育児でも
一番やっかいだったのは、

母親が若いからという理由で、

子どもが差別されないか
という不安。



息子が小学生になる前には
離婚をして
母子家庭になっていたから
余計に周りの目を気にした。


公園や、授業参観。学校行事。
ママ達の集まり。


どこに行っても
自分が一番年下
周りはいつも
ずっと年上


地味な服装
薄い化粧
丁寧な言葉遣い


を心がけた。


息子の服装や
持ち物にも気を遣った。


少しでも古くなった服は
着せないように。


安物の学用品は
持たせないように。


学校に忘れ物させる
なんてありえない。


とにかく


「あそこの母親は若いから」


それだけは
言われないように
必死だった。



その分、息子へのしつけも厳しかった。
それは私も息子も苦しくさせた。


我が子を

“自分の作品”

かのように扱い、

理想の子ども像

を押し付ける。


そんな母親になってた。




そんな時。
とある詩に出会った。


【アラブの詩人 カーリル・ジブラーンの詩】

あなたの子どもはあなたの
子どもではない
待ちこがれた、生そのもの
息子であり娘である
あなたを経てきたが、
あなたから来たのではない
あなたとともにいるが、
あなたに属してはいない
あなたは愛情を与えても、
考えを与えてはならない
なぜなら、彼らには彼らの
考えがあるから
あなたは彼らのように
努力はしても
彼らをあなたのように
することを求めてはならない
なぜなら生は後戻りしないし
きのうにとどまりもしないのだから
あなたは弓であり
あなたの子どもはあなたから
飛びたつ矢である


読み終えた瞬間。
はっきり覚えてる。

張ってた糸がプツンと切れた。



息子はたまたま私を経て
生まれてきただけであって
私のものではない。

そして、私も
息子のものではない。


お腹にストンと落ちた。


転機だったと思う。



子どもに理想の子供像
押し付けるということは、



自分にも理想の母親像
押し付けるということ。


「ちゃんとした母親」
にならなければいけない。




そこから解放された私は、
好きなことをして生きる
ようになった。


そして
好きなことをして生きる母親から
好きなことをして生きる息子が育った。


息子は高校から
好きなことを極めるための進路を選んだ。
今も、同じ道を歩いている。

今では
大学の勉強では”物足りない”と
休学をして
外部で人脈を広げ
社会の中で学び始めた。


そうやって
自分で道を選び、
没頭してる姿をみると
ほっとする。




成人を迎えた去年。

滑走路から
離陸する飛行機
見送った気がした。


結局、私ができたことは


自分のやりたいことをやってる姿を見せる


ことだけだった



育児は、
スキルやノウハウで
なんとかできることじゃない。


ましてや、
全く別の人格の子どもを
コントロールすることなど
できない


だったらあとは、
自分がどう在りたいか
を考えて、動くしかなかった



若年出産は悪か?

よく若年出産は、
「望まない妊娠」や
「貧困の連鎖」
という表現をされることが多い。


その一面もあると思う。
でもそうじゃない一面もある。


私は
若くして出産したことで、
たくさんの助けを得ることができた。


こだわりもプライドもなかったから、
どんなこともできた。


息子が成人しても
まだ37歳。
もう子供を産む気はない。


これから山ほど、
自分のやりたいことができる。


自由な時間は、
適齢期で産む人よりも
多いのかもしれない。


若くして産むことを
推奨したいわけじゃない。


社会で生きる準備や経済力もないまま
子どもを養育しながら暮らすことは
簡単じゃない。
(これは次回に書く)

でもたとえ、
若くして産むことがあっても、
そこで人生が決まるなんて、
あってはならない。


育児は、
自分の人生の一部
過ぎないのだから


どの年齢で出産しようと
その人らしい人生を作っていける
そんな社会であってほしいと思う。



多くの人より、私の青春時代は短く、若いうちにしかできないことが、私にはできなかったかもしれない。


でもその代わり、私には息子がいたから自分を作ることができたと思う。それだけで十分。


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