あばれはっちゃく
前回の記事でも少しふれましたが、私の父は私が幼少の頃に事業に失敗しました。その事業というのが、バイクショップだったのです。大型ではなく小さい個人店です。
母の話では質の良くないようなとこも含めて、方々から金策していたようで、それこそテレビに出てくるような恐いお兄さんが連日家に押し掛けた事もあるようです。
大人になってから親戚のおばさんに聞かされたのですが、当時母が小さい私たち兄弟を連れて思いつめた顔で踏切付近をうろうろしていたのを見て本気で焦ったという事を言っていました。生きていてよかった。とそれはまた別の話。
私の小学校入学と同時に、我が家は立川市内の都営の家賃の安いスラムな団地に転居することになりました。
スラムダンチとカタカナで書くとバスケットボールの頂点を目指す漫画の様ではありますが、それはそれはスラムな団地でございました。
私はここで中学三年生まで過ごす事になります。
小学校低学年の頃の思い出はと言えば、父がかつてそういった仕事をしていたということもあり、当時流行っていた、ポケットバイク、略してポケバイに乗っていたのが真っ先に思い出されます。
毎週週末はレースに駆り出され、あちこちのサーキットを走り回っておりました。
当時、私たちが乗っていたのはワークスマシンと言って、ちょっと特別な仕様で、ざっくり言うとめちゃくちゃ早いやつでした。
ポケバイは30㏄なのですが、ワークスになると、長い直線だと平気で120キロとか出るのです。
それを運転する小学校低学年。怖くないはずがございません。負けて帰ってくると父に殴られるし、当時は嫌で嫌で仕方ありませんでした。
一度サーキットでやはりレースに勝てなくて父に怒られ「お前は歩いて帰れ!」と言われ、はい、とトボトボ歩き始めたらそこは那須。という事がありました。
道中車の中で寝ていたから近所だと思っていたみたいです。てへ
あと、多分同世代しか知らないと思いますが、当時「あばれはっちゃく」という人気ドラマが放映されておりまして、たまたまサーキットにいた時にそのドラマの撮影があって、背景的に映り込んだ事がありました。
放送見ると意外と自分ってわかるくらいには映っていたのを今でも覚えています。
あばれはっちゃく父の決め台詞
「てめぇの馬鹿さ加減にはなぁ、父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ」
当時の父に言ってやりたいです。
了
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