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僕がサインを出して気づいたこと

 僕は学童野球の小学4年生以下(低学年)のお父さんコーチなのだが、僕自身は学童野球の経験がない。
 小学生の時はサッカーをやっていて、野球部に入ったのは中学からだ。そのまま高校でも野球を続け、甲子園にも行けた。
 そんな僕なので、学童野球の試合の勝敗結果にはほとんど興味がない。
 学童野球での勝敗がその後の野球人生においてどう影響するのか自分自身のサンプルがないのだ。
 ちなみに僕が所属していたサッカーチームは弱かった。でも、楽しいチームだった。その経験は今でも思い出として残っている。

 前置きが長くなったが、僕は試合中にサインを出すことはない。しかし、監督が不在の時は僕がサインを出すことになっている。
 持論として基本的には、僕はサインは不要と考えている。選手自身が勝利の為に考えて行動すればよいという考えだ。
 試合は練習したことの発表会だと思っているので、大人は応援に徹すればいいと思っている。
 でも、サインを覚えてサインを遂行する楽しさも知っているし、監督がまとめ役となり、サインを通じてチームとしての一体感が生まれることもわかっている。
 そんな考えの僕だが、サインを出して気づいてしまったことがある。それは、試合中にサインを出すことは楽しいということだ。
 それは僕だけではなく、経験者は皆そう思ったことがあるのではないだろうか。
 やや過激な言い方をするならば、自分が考えた作戦を人に命令して人が動いて、それが勝利につながれば自分の手柄になる。それは、快感に決まっている。
 もちろん僕はそんなことは思っていない。過去5回代理監督をして、一度も勝ったことがないのでそんなことを思うこともない(笑)
 それは冗談だとしても、サインを出すことで偉くなったと錯覚してしまう、そんな恐ろしさは感じている。
 僕は自分がサインを出してみて、なぜ勝ちにこだわる監督や指導者が多いのかがわかってしまったような気がする。
 監督や指導者は、「子どもたちを勝たせてあげたい。」と言うが、半分本当で半分嘘だと思う。「子どもたちを勝たせてあげたい、そして自分が勝ちたい、自分の評判を上げたい。」が本心だろう。
 僕も実際やってみるとそう思ってしまいそうになる。この快感の中毒性は高く、自分を保つことの難しさせえ感じる。
 勝つ気がないのかと思われてしまうかもしれないが、上記のような価値観の人からの指摘であれば、僕は我を通すと決めている。
 僕自身は地域ではそれなりに強いチームで野球をやっていたので勝利するプロセスはそれなりに心得ているつもりだ。
 試合に勝つことは素晴らしいことだし、勝つ為にはどうすれば良いかを考え、自分に対して挑戦すべきだと思っているので、勝つ気がないということはない。
 僕はサインを出すことよりも、試合に勝つことよりも、まずは野球をとことん楽しめているかが大切だと考えている。
 そして僕は、自分から逃げずにチャレンジすることしか上達する方法がないことを、子どもたちも気づいていると感じる。
 僕のミッションは、子どもたちの背中を押してあげることだと思っている。サインを出す前に、まだまだやることがある。
 これが今の僕の考えだ。

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