年齢を経てこそ地団太を踏んで強くなるや

今日も今日とて我が子は訳のわからないことを言っている。
友達とは趣味が合わずに言ってることが伝わらない、と。
親は親でボキャブラリーの違いで話が伝わらない、と。
心の内に秘める言いたいことが相手に伝わらないジレンマ。

もう、赤ちゃんに戻った気分。

なるほど
なぜ泣いているのか親に伝わらない。
更には自分でも理解できない。
そんな口惜しさと悲しさで更に泣いてしまう。

ならばと、親である私がその理解に努めようとする。
それを感じた彼女が私に言う。

あなたがそうやって小さな頃から私を育てた。
私が伝える前にあなたが感じ取った。
そうして私は今のように伝える能力が劣っていった。
だから私は地団駄を踏むが、この逆境には立ち向かっていく。
いつか伝えられるように。

なるほど
他責と自責が良いバランスになっている。
全てを自分の生まれた境遇のせいにする訳ではない。
だからといって全て自分の責任としている訳ではない。
生まれ持った境遇を受け入れ、その中で自分がなりたい自分の姿に対して自分の力で開拓しようというその心意気よ。

そう言えば、うちの子は小さな頃に地団駄を踏んだことはなかったな。
因果は分からないが私自身が親として先回りしたことが大きな理由なのだろうか。
そんな環境を受け入れつつも、新しい今日それを越えて行こうというのは我が子でなくともどんだけ素晴らしいことだろう。

そんな地団駄を踏む少女時代を微笑ましく思いながら、自分自身も中年の地団太を踏み悔し涙を明日こそ流そうと思うのであった。

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