『"面倒くさい"は健全である』へのフィードバック

最近、いちいち娘との会話が面白い(いや、結構前から面白いか)
でも、文章にするには時間が掛かるんだわ…
なので、今日みたいに酔った勢いがある時にしか書けない
いや、読み返したら面白いってのは分かってるんだけど、中々面倒くさいのよ…

って事で、タイトルの『面倒くさい』を考えてみた

面倒くさいの事例

もうね、兎に角面倒くさいのよ、トーヤは。
既にご存じの方は多いと思いますが、面倒くさい代表は「歯磨き」「お風呂」ですね。
それから、仕事や家事も面倒くさいです。
でも、それら全ては嫌でもないし、やった後に後悔した事は一度もありません。
後悔どころか、寧ろすっきりしてます。
そうすると、面倒くさいのは「行為そのもの」ではない事が分かります。
って事は…そこまでの過程が面倒くさいのか?
という、仮説を立てる訳です。

選択肢があるという事

ちょっと話は飛びますが、選択肢があるという事は健全だとトーヤは思ってます。
選択肢がない状況を考えてみましょう。
封建制度下での職業選択…なんてないですよね。
親が大工なら子も大工になる訳です。
義務教育も人によっては選択肢がないでしょう。
地元の小学校に6年間通わねばなりません。
あ、自殺する時とかも選択肢がないって言いますよね。
会社や学校が嫌で嫌で仕方がない。
でも、行くしかない…行くしかないなら死んでやる、と。
選択肢がない状態って、かなり不健全だなと考えています。
ただ、この時って恐らく「面倒くさい」とは思わないんじゃないかなぁ…

選択肢と選択

上記より「面倒くさい」とは厳密に言えば、「選択する事が面倒くさい」と言えるのではないか、と。
では、トーヤにとって風呂や歯磨きはどのような選択肢があったのか?
そう
風呂に入っても良いし、”入らなくても良い”という二択なんですね。
歯磨きも同様で、磨いても良いし磨かなくても良い、と。
んで、その選択肢があった時、「選択そのもの」が面倒くさい訳で、更に易きに流れて”磨かない”を選ぶって訳です。
更にかみ砕けば「考える事が面倒くさい」訳です。

娘への報告

これらより、面倒くさいと考えるのは選択肢がある時であり、選択肢があるという状況は健全である、と考えた訳です。
「面倒くさいは健全」
事を発見したトーヤは嬉しくて娘に報告する訳です。
上記の話を一通りした後
「一部賛同するが、一部疑問が残る」
とフィードバック体制が引かれました。

選択のロジック

娘「面倒くさいの正体が、行動そのものではなく”考える事”であるという視点は賛同する。
ただ、疑問点として風呂の選択肢は必ず二択になるのか?」
いや、とてもありがたい問題提起だ。
「いや、3択や4択もありうる。
例えば、
1.風呂に入る
2.Netflixを見る
3.寝る
というケースからひとつを選ぶという場合があるかも。
娘はちょっと考えて
娘「疑問を投げたのは私だが、やはり二択の連続かもしれない。
つまり、3つから1つを選ぶという行為は、1度の思考のように見えるが、実は2回考えている。
1と2を比較して、その中で選択した方と更に3を比較して決定する。
これは非常に面倒くさい行為になる。」

面倒くさいとの付き合い方

凡そ、面倒くさいの正体を突き詰めたところで、それとの付き合い方は考えていなかった。
どうやったらいいのかしら?
娘「結局2つしかない。
ひとつは、立ち向かう。
もう一つは、逃げる、だ。
逃げるは細分化できる。
延期や委託、我慢や諦めるという方法がある。」

つまり

トーヤのお風呂や歯磨き、そして娘のキッチンの後片付けやゴミ捨てが「面倒くさくてやりたくない」の理由は判明した。
しかし、ただそれだけの事である。
それを乗り越えようとは思っていないので、ずっとこのままなのである。
ただ、お互いに
「お前、それくらやれや!」
とは思っているだけの話である。

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