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懐かしの地下食堂

思い出話ばかりでスミマセン。年を取ると最近の話題に付いて行けないせいか、昔のことばかりが思い出されます。今朝、出がけに見たNHKニュースに、鹿児島市役所の”地下食堂”が閉店するというニュースが流れていました。この”地下食堂”というワードを聞いて思い出したのが今回のお話です。

九州大学は今は西区の伊都キャンパスにありますが、20年前までは東区の箱崎にありました。私の学生時代ももちろん、箱崎で授業が行われていました。旧箱崎キャンパスは、交通の便が良いのが利点でしたが、福岡空港の離発着の経路になっているので、飛行機の騒音が長年の懸案事項でした。伊都キャンパスに移転した理由の一つに、”静穏な環境”というのがありました。

とくに工学部の真上を飛行機が飛びますから、その轟音で先生の声がかき消されました。そのため、工学部には『防音教室』と名付けられた教室までありました。防音ではなかったのですが、工学部の本館には私が勝手に”アルプススタンド”と呼んでいた『大講義室』がありました。この大講義室の真下に、”地下食堂”がありました。

地下食堂の正式名称は『工学部食堂』で、我々は工食(コウショク)と呼んでいました。コウショクは、地上レベルから数メートル下がった地下にありました。工学部には生協が運営する大きな食堂がありましたが、コウショクは補助的な食堂の役割を果たしていました。生協食堂に比べると敷地面積は狭いのですが、定食などの価格帯が”やや安い”のが貧乏学生にとっては魅力的でした。

コウショクにはもう一つ特徴がありました。先程話にでてきた大講義室は一度に200-300人くらいが入れる大きな教室で、教壇から最後尾の席までは傾斜して段々と高くなっていました。普通の講義室は入口と出口が同じですが、大講義室の最後尾から教室に出られる出口がありました。この出口から出て、地下に向かうとコウショクに行けたのでした。

大講義室で講義を受けたのは、大学二年生に頃でしたが、その頃の授業時間は110分でした。約2時間もある授業を集中して聞けるはずがありません。当然、途中で眠くなって居眠りをしたりするのですが、居眠りから目が覚めても、まだ講義は続いていました。それ位、授業時間が長かったのです。先生が授業に集中すればするほど、最後尾の席までは目に入らなくなります。そこで、時々エスケープして、工学部食堂に行っていました。センセイ、ゴメンナサイ。

エスケープする時間は20分くらいですが、ウドンを食べながら談笑してから大講義室に戻っても、授業はまだまだ続いていました。特に二学期の冬の時期にはコウショクのうどんをよく食べました。私が毎回食べていたのは『丸天うどん』です。”丸天”というのは、円形の平べったい”練り物を揚げたもの”です。福岡では、これをテンプラと言います。福岡以外の人が何も知らずに、「てんぷらうどん」と注文すれば、たぶん”丸天うどん”が出てきます。一般的なエビの天ぷらがのった”天ぷらうどん”を食べたい時には、「エビの天ぷらうどん」と”エビを強調して”言わなければなりません。もちろん、お店にもよりますが・・・。

”地下”という言葉には”怪しげな”または”隠微な”印象が付きまといます。私はアイドル事情には疎いのですが、最近は”地下アイドル”という人たちがいるそうです。私は”地下食堂”ならよく知っているのですが、”地下アイドル”のことは全く知りません。

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