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日本のポンペイ 子持村

太宰府市の九州国立博物館で、『ポンペイ展』が今年の10月から開催されています。開催期間は10月12日から12月4日迄で、もうすぐ閉幕です。高度な文明を持っていた古代ローマ都市・ポンペイは、ヴェスヴィオ火山の大噴火による火山の降灰や火砕流によって、街ごと埋まってしまいました。この大惨事が起こったのは西暦79年で、日本でいえば弥生時代のことでした。

この時の大惨事に、ローマ帝国初期に活躍していた博物学者・プリニウスが巻き込まれて死亡しています。プリニウスは養子になった甥のプリニウスと区別する意味で、大プリニウスと呼ばれています。大プリニウスは『博物誌』を著した博物学者ですが、軍人でもありました。彼は、ヴェスヴィオ火山の噴火で現地調査と救助に向かうのですが、火山性ガスの犠牲となってしまいました。

西暦79年8月24日、ポンペイから9km離れたヴェスヴィオ火山が突然噴火しました。翌25日には時速100kmの火砕流が発生して、街ごと飲み込んでしまいました。なんと、噴火発生からわずか19時間後にはポンペイは地上から消滅してしまいました。当時のポンペイの人口は推定12,000人ですが、噴火による飛翔物や瓦礫の落下や400℃を超える高温ガスにより、火砕流に飲み込まれる前に多くの人々は亡くなったと考えられています。

その都市・ポンペイは火山灰の下にそのまま保存され、石畳みの通りや豪華な劇場、公衆浴場や製粉所、風俗施設や住宅などの、当時の生活の様子を克明に伝えています。当時の日本は、竪穴住居の時代ですから、かなりの文明の差がありました。その貴重な遺物の一部がイタリアに行かなくても、見学することができます。この前、有給休暇の消化で平日に休みましたが、ポンペイ展に行かなかったことを後悔しています。

実は、日本にも火山灰に埋もれた遺跡が発見されています。古墳時代の6世紀初頭、榛名山二ツ岳の大爆発による火砕流と、軽石であっという間に埋没したのが、榛名山の山麓にあった25ヶ所の集落です。古代の集落が、火砕流や降灰に埋没し、当時の生活が判明するというまさに『日本のポンペイ』ともいえる遺跡群です。ただし日本の場合は、古代ローマの都市のような立派な建物はありませんので、発見されたのは当時の竪穴住居跡や畑や道の跡などです。ポンペイに比べると見劣りしますが、当時の日本の生活様式を知るうえで、歴史的な価値は十分にあります。

群馬県渋川市にある、古墳時代の榛名山噴火関連遺跡のひとつが黒井峯くろいみね遺跡です。この黒井峯遺跡がある場所は、昭和57年の発見当時は子持村こもちむらでした。この時、子持村教育委員会は地中レーダ深査やトレンチ調査を実施し、110ヶ所もの竪穴住居跡を発見しています。

この子持村(当時)に、新しい遺構を探すための地中レーダ探査の見学に行ったことがありました。調査現場はコンニャク畑で、火山灰土壌特有の小さな粒子の砂が印象的でした。火山灰土壌は水捌けが良いので、コンニャク栽培には最適ですし、地中レーダ探査にも最適です。地中レーダの電磁波は、乾燥した土壌ほど深くまで透入できるので、深部の探査が可能になります。この時の調査結果は詳しく知りませんが、大量の火山灰で押しつぶされた竪穴住居が地中レーダで発見された例がありました。

平成24年11月には、渋川市の金井東裏遺跡から、当時の最先端の武具・小札甲こざねよろいを着た男性の人骨が出土して話題になりましたし、金井東裏遺跡の南400mの位置にある金井下新田遺跡からは、”首飾りをした古墳人”の人骨も見つかっています。本場のポンペイほどではありませんが、日本のポンペイでも貴重な発見が相次いでいます。『日本のポンペイ展』というのも、アリかもしれませんね。

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