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#16「自分の"写真"の存在意味」


今回のお題は写真家のリオから。

毎週出されるお題に対して、自分で撮った写真で小説風に日記を書く。
面白い友達なんよね。
ほんで謙虚。


#16 「自分の"写真"の存在意味」
写真30枚以上使うこと。


思い出は記録より記憶


とはよく言ったものだけど、
僕は


思い出は記憶より記録


だと思って写真を撮ってる。

写真がその記録に残すためのツールとして大事なものになってる(僕にとっては)

強烈な思い出はいつまでたっても覚えてるし思い出せるけど、
その強烈な思い出ですら、その時何を着てたとか思い出せないことがある。

ちょっとした思い出とかなんてすぐ忘れる。
何気ない日常もすぐ忘れる。

でも、写真を撮ってるから脳が
「忘れてええよ。」
「もっと新しいことどんどん脳に入れなよ。」

って言ってる気がする。

昔の一枚の写真をみるだけで
その日の記憶が鮮明に出てくる。
着てる服から会話まで、
なんならその時の感情まで。
それが20年前だったとしても。

だから自分にとっての写真の存在意義は
記憶を思い出させるためのメモ。

脳みそにスペース作るために忘れてOKメモを残す。

大量に本を読んでもすぐ忘れる。
ほんで、脳みその端っこから引っ張り出そうとするけどどの本に書いてあったのかすら出てこない。
なんなら誰かから聞いた話なのかも。ってなる。
それが嫌だから読んだ本を残してた。

今は違う。
その本に書いてあったことで自分に必要なことを、
抽象化して自分の言葉でメモにして残す。

そうすることですっかり忘れれるから
また新しいことをインプットできる。

写真の話から逸れたけど、
自分にとっての写真は
メモに似てる。

久々に昔の写真引っ張り出してみるか。





fin.


髪切ります