ジミー・カーター元大統領は、アメリカ大使館人質事件が任期時期に発生したばかりに…

1979年1月1日、ジミー・カーター政権は中国とアメリカ帝国主義は国交を結んだ。
であるにもかかわらず、台湾と中国を刺激するアメリカ帝国主義は打算で動いているのが見え見え。とはいえ、アメリカ帝国主義と中国は経済関係は良好にしていくという合意はなされた。
ジミー・カーターは低所得層の公営住宅に住むような庶民だったが、努力と勉学のかいあって政治家、大統領へ上り詰めた、庶民派の政治家で人種差別撤廃、格差撤廃など国民の支持が高い政治家だったが、そこに現れたアメリカ大使館人質事件(イラン側主導者はホメイニである)への対応が上手くいかず、1980年ロナルド・レーガン大統領に座を譲り、フリードマンら新自由時代、チリではピノチェト独裁、日本国内は国鉄労働者弾圧、サッチャーは炭鉱労働者を弾圧するという「新帝国主義」が始動された。
イラン学生によるアメリカ大使館人質事件は、イランの皇帝パーフラヴィーがアメリカ帝国主義に肩入れして、国民抑圧の政治があまりにもひどく、イスラム・シーア派のホメイニが中心となり立ち上がったのである。イラン革命前夜はイラン共産党もストライキを活発に行い、その後はホメイニ師がコントロールするイランは国家変貌し、その悪い遺産がヒジャブ着用義務であり、イスラム原理主義の鬼っ子のタリバンである。
結局、アメリカ帝国主義が介入しすぎやねん。


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