望月 衣塑子記者の東山紀之への質問内容は「正義」である

SNSで知りうる断片的な情報では、東京新聞の望月 衣塑子記者による東山紀之ジャニーズ新社長への質問が不評のようである。

しかし、ジャーナリストがなぜ、権力者のプライベートにまで配慮しなければいけないのか。そういうお情けをかけてしまうところが日本人が政治を理解していないあほの一種だとわかる。

公開質問でするようなことか、という意見もあるが、望月記者は『スマップ、そしてジャニーズタレントへ』という本のウラをとる意味も含め、まったく望月記者の質問は正しい。さらに、付け加えると、望月記者は、東山新社長へ「被害者だったのですか」という質問をしたようだ。この質問が「一見人権を理解しているように見える全くわかっていない情緒的日本人」はプライベートなことを質問するのは人権無視だうんぬんかんぬんと騒いでいるが、あのう、だったら顔出しで告発している被害者たちはどうなるんですか。古市は、アウンティングという間違えて望月記者を批判している。被害者であることを知られることはアウンティングになるのだろうか。もし、東山紀之が被害者であることを知られたくないとすれば、結局のところ、ジャニー喜多川を庇っていることになるし、被害者であることを言わないから、新社長になれたのである。ここにあるのは、人権ではない。東山紀之の「打算、打算、打算」だけだ。

さらに「見かけだけ礼儀正しい(実はバカ)」の日本人は、どうやら望月記者が生放送であるにも関わらず、「ソーセージ」「陰部」というワードが飛び出たことに「動揺」しているようだ。(本当に日本人は相変わらず大馬鹿野郎だ。)なぜ、新聞記者がテレビ局が作った放送禁止用語系の内部統制に従う必要は無い。

生放送であるかどうかなど、望月記者が「配慮」しなければいけないのか。そこで「配慮」が必要だと感じている奴は、安倍政権下で進んできた言論弾圧を自然と感じるまでになった。バカでしかない。東山紀之が被害者であることで、妙な同情というか、「かわいそう」という、またもや日本人の見下し感情が蔓延しているようですな。

対して、望月記者は果敢にも「記者の仕事」をした。それこそ「言論の自由を守る」である。

私は、人がなんといおうと望月記者のジャーナリズム精神を高く買う。



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