志位委員長が高揚した時期

志位委員長が花開いたときは、SEALD'sと一緒になって安保法制反対デモに加わったときなんだろうな。そのときの志位委員長は高揚感があったはずだ。そして、政権交代ができるという楽観的な「実感」を感じていたはずだ。

それが今や、焦りがあらわで、「批判」を「攻撃」と言い換えたり、松竹氏の手のひらで踊らされているようだ。

「革命政党」と日本共産党のことを志位委員長はそう呼んだが、それは野党共闘が挫折し、迷いと焦りの中の「スローガン」と化している。

その「スローガン」は130%というできそうにもない目標を立てているが、実際のところ、野党共闘はもはや不可能であるから、このような頑張りにどのような意義をもてばよいのか。

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