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『九条の大罪』~比嘉秀仁の読書レビュー①~

仕事は勿論、麻雀(天鳳、雀魂)やソシャゲ、ウォーキングやnote記事執筆や英語の勉強などいろいろ忙しいですが、暇があったら本や漫画読んだりもしています。記事のネタになるならなんでもいいや、と開き直って感想文でも書きましょう、ということで。


真鍋昌平先生の『九条の大罪』です。上記ツイートで一話を閲覧できるようです。二話以降のネタバレ的なものはしません。

真鍋先生の代表作と言えば『闇金ウシジマくん』ですが、『九条の大罪』も方向性としてはおそらく同じだと思います。所謂「弱者」が社会で生きる中で搾取されたり助けられたりする人間模様を描いたものになっています。

『闇金ウシジマくん』は金貸しの視点でそういった「弱者」を描いてきましたが、『九条の大罪』では弁護士の視点から「弱者」の様々な姿を見せていくのでしょう。弁護士と言えば所謂「人権派」等の人がマスメディアでよく見られるので「正義の味方」というイメージがありますが、この物語の主人公、九条は「思想信条がないのが弁護士だ」と言い切っています。私の弁護士のイメージもそのような「法律(=ルール)は個人の善悪関係なく社会に沿った法律(=ルール)通りに則って運用される」ということを利用して自分の依頼された仕事をこなす、つまり裁判等に勝つ、といったような存在であろうと思ってきました。

この弁護士、法律といった視点から「弱者」は何が悪いのか、ということを考えてみると、それは「無知」ということだと私は思います。

これは単に「法律(=ルール)を知らないから悪い」といった話ではなく、こないだ読んだ本にも書いてあったことなのですが、「真実(やそれに付随する利便)にアクセスすることは困難であり、コストがかかる」ということです。統計を用いて正確なデータを取ることは多大なコストと時間を消費し、さらに様々な事柄を考慮しなければいけません。さらに社会は常に変動するのでそこも鑑みていくと真実が何なのかは見えにくいのです。麻雀界でも「科学する麻雀」以前のデータのない時代から比べれば、現代は根拠に基づいた多くの強くなるためのセオリーがはっきりとした形で出来上がり、発展を続けています。データのない時代は頼ることのできる確実なものがないため、あやふやなものを信じるしかなかったわけですね。twitterではデマや陰謀論の話題は絶えませんが、一時の不安を抑えつけたり解消したりするために安易にそういったものに飛び込むのでしょう。

加えて今は高度な情報化社会です。それについていけない人も少なくないのではないでしょうか。例えば、自前の確定申告、毎年SNSなどでの「やり方がわからない」という声は絶えません。かくいう私も最初はそうでした。近年自分でインターネットでやってみて「案外いけるものなんだな」となりました。去年のコロナ禍での持続化給付金の手続きにしても、twitterのTLでやり方がわからなかったり申請に不備があって申請を通せない人も数多く見ました。(マイナンバーカードの申請もやらなきゃなあ...) 今の社会のシステムは手続きが多く、ある利便や真実に辿り着くにはある程度の知力や気力を必要とします。それらが乏しい人たちは相対的に損をすることが多くなり、利便や真実に辿り着くことなく『闇金ウシジマくん』や『九条の大罪』に登場する「弱者」のようになってしまう人もいるのです。

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私は塾の先生をやっており、国語を教えることもあります。国語を教えるにあたり、私が一番子どもらにできるようになってほしいのは「言葉を正確に受け取り、読み取ること」と「読み取った言葉から事実をどう解釈するか」ということです。私は国語で大事なのは「見落とさないこと」だと思っているのですが、国語が苦手な子はこの「見落とし」をしょっちゅうやります。少し極端な例を出します。

・わたし「は」それを知っている。

・わたし「も」それを知っている。

上記の文で国語が苦手な子は「は」と「も」が違っていることを見落とし、どちらも同じ意味の文としてとらえてしまい、それで文章内容の理解や出題された問題を間違うのです。説明するまでもありませんが、上の文は「他人はわからないが、少なくともわたしはそれを知っている」、下の文は「それを知っているのがわたし以外にも存在する」という事実が解釈できます。こういったきちんとした解釈をして初めて、「真実(やそれに付随する利便)にアクセスでき」るようになる基本を身に付けることができるのです。それを身に付けられたら「弱者」から這い出るための突破口を見出せるかもしれません。法律(ルール)は社会的効力を持つ「文」であり、それを正確に読み取り、事実を正確に解釈することで問題を解決し、自分の力(知力や気力)で自分を助けることができるかもしれないからです。

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『九条の大罪』は『闇金ウシジマくん』と同様、「人間(性)と社会(のルール)の葛藤」がテーマでそれをエグい形のフィクションとして描いているのだと思います。もちろんみんながみんな楽に幸せに生きていければそれにこしたことはないですが、現実はそうなっていません。この社会の中で幸せになるにはある程度の力を身に付けなければいけません。『九条の大罪』は人間―特に「弱者」―に「自分を助けられるような力を付けよ。社会はただ待っていてもいつも助けてくれるわけではない」ということを迫っていく作品になるんじゃあないかなと個人的には思っています。これからの展開も期待しています。


『闇金ウシジマくん』で「麻雀プロくん」とか再連載してくれへんかな...

(了)


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