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教えていると教わるん

ギターを教えるということをやっていて、、、

基本的には、「基礎」とか、練習曲とかをすっ飛ばして、

「やりたい曲をいきなり練習する」

というスタンスで進めるようにしています。

その方が楽しいから。


先日、教えている生徒さんがYouTubeのコード講座を見ながら練習をしていたと言う。
好きなバンドの曲があって、それを課題曲にしていたので、
「あれ?コード弾きを覚えたかったですか?課題曲は一旦置いとく?」
「いや、曲の方がやりたいんですけど、形から入ろうとする癖があって・・・」
「じゃあやりたい方からやりましょうw」

というやり取りをした時、

あ・・・!

となりました。

自分も様々なものにおいて
まず基礎をやらなきゃ

とか

何から始めないとダメなんだっけ?

と、ほとんどの場合、◯◯しなきゃいけない、で進めているな、と。


んで、今
そんな必要ないですよ
と人には言っている。

たまたまなのか、若かったからなのか、ギターにおいては
自分がやりたいように練習したり弾いてみたり、を最初に自然とやっていてそれが楽しかったから人に教える時もそこを重視している。

ギターを始めて数年してから少し習ったりもしたので基礎云々も出来なくもないし、基礎から始めた方が効率的な部分があるのも理解しているけど、

上手くなる最短の道



楽しむ道

がちょっと違う人も多いんじゃないか。

そんで、我慢と努力からはいる癖の自分が「楽しむ」を自然と優先出来たのはやっぱり「好き」が強いんじゃないかと。

と同時にギターを始めて数年してから

音楽やってて何になるんだろう?
プロにならなければ意味がなくない?
他で生かすなら◯◯して◯◯しないと・・・

ということを考えるようになってギターをさわる時間が凄く減ったことも思い出しました。

途中で、どうせこんなことやってても・・・って拗ね始めたのでしょう。(ってことは、本当は大好きでやりたいように楽しみたかったのだ)


んでも、結局今こうやって少し人に教えたりして、楽しめています。

仕事を意識する年齢になった時、既存の仕事のカタチでしか考えられずそこに自分の在り方がフィットしない、ってだけで困ってしまって、やっぱりそんなもんだ、とつまらなくなってしまったのだと思います。

今、教えたりして実感している楽しみ方なんて想像もしていなかった・・・。

自分が何が好きなのか、を考えたり、意識して行動していたら、
自然とギターを教える機会を得ることが出来たりと仕事にする為には◯◯しないと、といった気の重くなる教育的指導に沿った努力が必須とは限らなかったのだ。

加えて、既存のものが肌に合わなければ

作ってしまえばええ

のです。

何をする為に生まれてきたのか、なぁんてわからないけれど

(お金の為だけに嫌々取り組む)仕事をするため?
⇒絶対違う!

ギター弾くため?
⇒そこまでなのかはわからないな・・・

この二つの感覚の隔たりは凄く大きい。

絶対違う!
と思うものにそんなに時間費やさなくてもええやろ。

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