アイルトン・セナ
5月がスタートしました。
毎年、5月1日になると思い出される1994年5月1日 F-1サンマリノGP(イモラ)でのアイルトン・セナの事故死。
あれから もう27年という長い時間が経つんですね。
先ず、アイルトン・セナで思う事が、セナの人生って とことんヒーロー人生だったなぁ〜と言いますか、レースの為だけに生まれタイトルを獲り 頂点のまま亡くなっていった方だなと思います。
当時、ライバルだったアラン・プロストもコメントしてますが『僕らはレースに充てる割合は70〜80%くらいで残りはプライベートの事だったりするけど、セナは100% レースに自分の人生(時間)を注ぎ込んでいた。』
文言は正確ではありませんが、そんな様な事を話していました。
勿論、セナも家族は居ましたし 恋人もいました。
それでも、他者ドライバーに比べるとレースに注ぎ込む時間は相当だったと思います。
レースでのセナの名シーンは数ありますが、よく放送されるのは’92 モナコGP レース終盤でのマンセルとのバトル。
これはTVで観ていても気がつくと手に汗握っていました。
そして、'93 ドニントンでの雨のレース。
'93のマクラーレンというとホンダが撤退した翌年、非力などフォードエンジンを搭載したマシンでした。
そんなマシンでゴボウ抜きした訳ですから伝説になりますよね。
'93、プロストが引退し、ウィリアムズのシートに空きが出て、セナはずっと念願だったウィリアムズへ移籍。
セナと名門ウィリアムズのタッグですよ。
誰もが圧勝と思ったでしょうか。
レギュレーション変更に伴い'94のウィリアムズのマシンは戦闘力に欠けるマシンとなってしまいました。
記憶が薄れてますが、1994年 F-1シーズンの初戦はブラジル(インテルラゴス)だったでしょうか?
リタイヤしたんだったかなぁ。
第2戦が岡山県のTIサーキット英田
肉迫してくるMシューマッハのプレッシャーもありながら、スーパーラップを決めポールポジション。
が、決勝ではリタイヤ。
開幕して2戦 セナがまさかのノーポイントですよ。
そして運命のサンマリノGP
この週末は事故続きの呪われた週末となっていました。
Rバリチェロがウォールに激突したり、ラッツェンバーガーが走行中にクラッシュし事故死。
決勝レースでもスタート直後、エンジンストールしたマシンに後続車が追突したり…
ピットでもマシンから脱輪したタイヤがピットクルーに当たり怪我。
レース再開しトップを走るセナの直ぐ後方にはシューマッハ。
そして衝撃のシーンが起きた。
あの時、誰もが思ったと思います。
『セナが死ぬはずはない』
TV映像でも ピクッと頭部が動いたので大丈夫かな?と信じた瞬間。
世界中がセナの無事を祈っていましたが、信じるのが困難な悲しい報告がされました。
当時、フジテレビで中継されていて、いきなり三宅アナと今宮純さん、川井さんの3名が深刻な面持ちでTVカメラの前に立って状況が伝えられました。
当時の自分は全身の力が抜け放心状態
こんな信じられない事が起きるのか?といった状態でした。
あの時、サッカーの試合も中断されたり、母国ブラジルではセナは国葬され国民が泣いた。
余談ですが、1994年はサッカーW杯で決勝カードがブラジルvsイタリア
因縁めいたものを感じましたね。
取り留めのないほど記憶が蘇ってきて、この記事をどう締めくくれば???な感じですが、今日はセナに想いをよせる一日にします。
ほんじゃね!
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