役に立たないものこそ、生きる希望や情熱を与えてくれる。
「役に立たない」とされているものこそ、僕たちに生きる希望や情熱を与えてくれるものである。
ここ数年でこんなことを思うようになりました。
ふと周りを見わたすと大人よりも子どものほうが生きる希望や情熱を持っているように感じますが、それはなぜかといえば「役に立つかどうか」なんていう物差しで子どもは測ってないからです。
たとえば子どもは「鬼ごっこをすることで自分の健康に繋がるかな」とか「アリの巣の観察をしたら集中力が養われるかな」みたいなことは一切考えないんですよね。そんな発想が一瞬でも湧いてこない。
ただ成長するなかで周りの大人たちから「それってなんの役に立つの?」とか「そんなことやっても将来には生きないよ」とか言われる経験が積み重なっていくんですよね。
すると僕たちは「これって将来の役に立つのかな?」という物差しを無意識的にも育ててしまい、結果的に自分の脳内に「こんなことやってもなんの役にも立たないからやめておこう」という声を響き渡らせてしまうのです。
もちろん物差しを持つこと自体が「悪」ということを言っているわけではないです。
ただその物差しに固執しすぎてしまうと、僕たちの生きる希望や情熱といった類は根こそぎ引っこ抜かれてしまうことになる。
だから、人生をより豊かに、イキイキとさせたいのであれば、
「こんなことして何になるんだろう?でもぶっちゃけこれやってる時が一番楽しい!」みたいな時間でいっぱいにすることが、結局のところ最も“役に立つ”のではないかなと思います。
僕はいつもカフェで仕事をしているので、サポートをいただいたら、普段は頼めないちょっとお高めのドリンク頼んじゃいまーっす✌︎( ̄▽ ̄✌︎)