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奴隷を解放し続けた黒人女性②

~ハリエット・タブマンの執念の闘い~シリーズ➊~➍

逃亡奴隷

▲映画のパンフレット

 9歳になったミンティは、とても器用でたくましくなり、家内労働から野外労働にまわされても、大人に負けないくらいに仕事をこなせるようになっていました。
 
 そんなある日、一緒に働く男たちから、ナット・ターナーが起こした反乱の話を聞きました。好奇心あふれるミンティにとって、それは想像を絶するできごとでした。奴隷70人ほどが起こした反乱は、軍隊によって鎮圧され、裁判にかけられた45人のうち18人は絞首刑となったのです。犠牲になった白人約60人、黒人約100人、自由を求める反乱は多数の犠牲者を出したのです。自分の命をかけて自由を求めた男たちの話は、ミンティの「自由」を求める心を大きく突き動かしました。
 
 ミンティは、13歳のとき、他人が投げた秤で使う1キロ程の鉄の重りが頭に当たり、大けがをし、その後遺症のため、突然眠り込んだり、発作に悩まされたりしました。この頃の雇い主はスチュアート氏といって、牛を使って木材を切り出し、加工して舟を作ったりしていました。この仕事を父親と一緒にやり、肉体労働で鍛え上げられた体はたくましくなり、わずかながらお金ももらえるようになったのです。
 
 森や川で長年働き続けてきた父親には、森で生き抜くさまざまな知恵がありました。木材の質の見分け方や牛の操り方はもちろん、天候を予測し、薬草を見つけ、森の草地や沼地の歩き方や安全な川の渡り方、星座を見て方角を見極める方法など、ありとあらゆる知恵を父親から教わったのです。ある時ミンティは尋ねました。星が見えない夜は、どうして方角を知るのかと。「その時は、木の幹に生えるコケを見つけなさい。コケが生えるのは、日の当たりにくい北側だ。コケが北極星の代わりをしてくれるよ。」 
 
 こうした知恵が、後に山野をかけて逃げ続けたミンティの命を守り、奴隷の仲間たちを助けることに役立つとは知る由もありませんでした。
 教育を受けたことがないミンティは、字が読めませんでしたが、貸出奴隷として各地を移動していたミンティは、木材を運んでいく港にいた多くの自由黒人などからさまざまな見聞を広めることができました。
 
 最初の逃亡は、兄弟3人で試みましたが、うまくいかず、2度目は、たった一人でペンシルベニア州フィラデルフィアをめざして逃亡したのです。後遺症によるナルコレプシーのような睡眠障害のあったミンティでしたが、人々が眠るとひたすら歩き、見つかりやすい日中は男の格好をしたり、深い草地や洞穴などの安全な場所で眠るのをくりかえしました。当時、逃亡奴隷には賞金がかけられていたため、馬が登れない岩を登り、鼻のきく犬たちを欺くためには、何度も川を渡らなければなりませんでした。 

 しかし一方で、クエーカー教徒や「地下鉄道」のように逃亡を手助けしてくれる白人や自由黒人もいたのです。そうした家や支援組織を頼りながら進み、ウィルミントンの裕福なクエーカー教徒で奴隷制廃止主義者のトマス・ギャレットの支援を受けて、ついにフィラデルフィアの支援事務所にたどりつくことができたのです。

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