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真の自由を手にいれるために②

~ヘレン・ケラーとアン・サリヴァンの努力の物語~ シリーズ➊~➍

➋卓越したサリヴァン先生の教育的手腕

▲ヘレン・ケラーとアン・サリヴァン

  1887年、当時22歳のサリヴァンが、タスカンビヤにあるヘレンの家へ来たのは、春3月のうららかな朝でした。 ヘレンに会ってみると、7歳になった彼女は予想に反して、リンゴのような頬をした元気のいい健康そうな子だったのでほっとしましたが、一方で怒りっぽくて乱暴、いささかも疲れを知らぬようにはね回り、両親も手を焼く有様を見て、この子に素直さを教えることは並大抵の苦労ではないと直感しました。
 
 7歳のヘレンは、大切な幼児教育の時期はとっくに過ぎていましたが、頭脳は極めて明せきで、特に記憶力がよく、適切な教育によれば素晴らしい子どもになれると、サリヴァンは確信を抱いたのです。サリヴァンは着いた翌日から早速教育にとりかかりました。最初に、パーキンス盲学校から贈られた人形をヘレンに抱かせ、指文字で「DOLL (人形) 」 という字をその掌に書きました。もちろんヘレンは何のことか判りません。繰り返しているうちに、それが今手に抱いているものの名前であることを覚ります。そのようにしてくり返し努力しているうち、2週間目には全てのものに呼び名のあることを理解するようになったのです。
 
 もともと頭のいいヘレンの進歩は日に日に早くなりました。サリヴァンはそれまでの経験によって、点字によるよりも指文字の方が、 興味と快感を伴いながら進歩も早いことを知っていたので、最初から指文字による教育をはじめたのです。
 
 教育をはじめて3カ月目、ヘレンはもう300の言葉を覚えました。これはヘレンの才能にもよりますが、 サリヴァンの教育的手腕が卓越していたことを物語っています。例えば、ある日へレンがコップとその中に入っている水を同じものだと主張してゆずらず、遂にサリヴァンとけんかになったことがありました。 サリヴァンはヘレンに気分転換をさせるため、しばらく他のことに興味を移し、その上で初めて戸外に誘い出し、ポンプ小屋に連れて行って、持っているコップに冷たい水を注ぎこんであげました。と同時に「水」と指文字で書くと、ヘレンの顔色がさっと変り、コップを落して何かに打たれたようにじっと考えこんでしまいました。彼女の顔にいつもと違う輝きが現れはじめたのです。自分の誤りが分ったのです。
 このことを機に、あれほど頑固だったヘレンが急に素直になり、サリヴァンの教えを素直に受け入れ、進歩も目立って来たと、サリヴァンは記録に書き残しています。
 
 かくして相当の言語と知識を獲得することに成功したサリヴァンは、第二段階の教育方法として、ヘレンに 『読む力』をつけさせることにとりかかりました。
 それは点字ではなく、一つ一つの語を別の紙に凸文字で書き、それを順序よく並べることによって結び付けさせたのです。次いで書くことを教えました。8歳にして、ヘレンは三重の障害をもちながら、本を読み、文章を書くことができる少女として全米にその名を知られるようになったのです。
 
 サリヴァンは、ヘレンの知りたいことによく注意し、興味を引き立てながら、独学によって知り得るのものを、教え授けるようにしました。これによってヘレンの思想はだんだん整理され、観念の正確さを加えることが出来たと後にサリヴァンは語っています。
 
 大人になってからのヘレンにとっても、会話のための大切なツールは、やはり手や指の感触でした。右手で握手しながら、サリヴァン先生が左の手のひらに指でなぞってくれる文字で会話することができました。彼女は『自伝』にこう記しています。「人と握手する時、その手は無言のうちにさまざまなことを伝えてくれる。手の感触で、無礼な人だとわかることもある。喜びが全く感じられない人に会ったこともある。冷たい霜のような指先を握り締めたとき、まるで北風と握手しているようだった。そうかと思えば、手の中に日の光が射しこんでいるような人もいる。こういう人と握手をすると、心があたたまる。」

▲手で確認をするヘレン・ケラー

 
 あらゆるものを手で触り、サリヴァン先生の唇に触りながら、話ことばを手に入れ、怒る、悲しむ、考える、愛するということばの真の意味を認識し、抽象的な概念をも理解できるようになっていきました。やがて文学を知り、歴史や複数の言語を学び、宗教を知り、思想を持つようになっていくのです。並々ならぬ努力によって、彼女の知性は深まり、その知性が豊かな人間性を形成し、そして崇高な目的を持つようになったのです。


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