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奴隷を解放し続けた黒人女性   ~ハリエット・タブマンの執念の闘い~ シリーズ➊~➍

➌地下鉄道 

▲地下鉄道 (Amazonプライムビデオより)


 しかし、自由の天地のはずのフィラデルフィアは見知らぬ人ばかりで、孤独にさいなまれる日々の中、家族や夫への思いは募るばかりでした。たびたび支援事務所を訪れては、家族の情報や寄付金を集めるなどの準備を進めてきたハリエットは、「逃亡奴隷法」が強化され、逃亡奴隷の取り締まりが厳しくなるだろうことを聞かされました。
 新しく州となるカリフォルニアに奴隷制度を認めるかどうかをめぐって、奴隷州と自由州の対立が激しくなりました。けれども、自由州にすることを推し進める北部が優勢だったため、このままでは奴隷制度を続けられなくなると判断した南部は、北部と別れ、自分たちだけで新たな国を立ちあげるほうがよいのではないかと考え始めました。 連邦議会は、国が二つに分裂し戦争になることをさけるため、妥協案として新たな「逃亡奴隷法」を制定したのです。
 逃亡奴隷を取りかえすため、ほかの州まで追跡する権利が奴隷主にあたえられ、南部から逃れてきた奴隷は、たとえ自由州にいたとしても、つかまえられる危険性が高まったのです。そればかりか、逃亡奴隷を雇ったり、かくまったり、支援した者には、重い罰が課せられることになりました。
 
 このような厳しい条件の中、ハリエットは1860年までの10年間、「地下鉄道」の一員として、家族をはじめ、多くの黒人奴隷を救出し続けました。逃亡作戦は、夜が最も長い晩秋から冬の間の土曜日に実行されました。夜の長さは、目立たずに移動できる時間の長さであり、新聞社は日曜日が休みのため、逃亡奴隷の情報発信が1日遅れるからでした。綿密な計画をたて、読み書きができない奴隷たちのために、暗号を巧みに盛り込んだ歌で連絡を取り、町中に逃亡奴隷の手配書が貼られると、すぐに自由黒人に頼んではがしてもらいました。
 
 逃亡の道のりは過酷を窮め、「もう無理だ。こんなに大変だとは思わなかった。帰らせてくれ。」と途中で弱音を吐く者も多くいました。ハリエットは彼らを懸命に励ましましたが、それでも臆病な奴隷には容赦なく、銃を向けて脅しました。「もし一緒に進めないというのなら、ここで死んでもらいます。進むか、死ぬか、今すぐ決めて下さい。」ハリエットの固い決意の前に、みなが従いました。もし引き返す者が一人でも出れば、奴隷主から重い罰を受けるばかりか、拷問を受け、逃亡を助けた者や逃亡のルートなどをみな自白させられるからです。そんなことになったら、「地下鉄道」の組織の存続が危ぶまれ、多くのメンバーが逮捕され、これまでの苦労が水の泡となってしまうからです。
ハリエットが率いた逃亡作戦では、自分の父母を含め120名もの奴隷の救出に成功したのです。優秀な「地下鉄道」の車掌として活躍するハリエットの行動力と勇敢さは、神話のような噂となって広まり、神から特別な能力を与えられた「黒人たちのモーセ」と呼ばれるようになっていました。

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