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「ハイリゲンシュタットの遺書」を読み解く①

~甦った大作曲家ベートーヴェン~ シリーズ➊~➍


➊ハイリゲンシュタットの遺書


▲楽聖ベートーヴェン

 「楽聖ベートーヴェン」の名を知らない人はいないといっても過言ではないでしょう。彼の『交響曲第5番≪運命≫』は、あまりにも有名であり、ロマン・ロランの著書『ベートーヴェンの生涯』を既に読んだことのある人もいるかもしれません。
 われわれは、この「ハイリゲンシュタットの遺書」を読み解くことによって、楽聖ベートーヴェンの深淵な楽曲のみならず、一人の人間としての苦悩や葛藤を知り、同苦することによって、彼がどのように新たな「生の意味」を求めて進化していったのかを理解することができるでしょう。
 まずは、その「遺書」(10月6日付と10月10日付)の2通を原文訳で、そのまま読んでみましょう。(ロマン・ロラン著『ベートーヴェンの生涯』片山俊彦訳より)
 
 

▲ハイリゲンシュタットの遺書


ハイリゲンシュタットの遺書*(片山敏彦訳)
わが弟カルルおよび(ヨーハン**)に・・・わが死後、この意志の遂行さるべきために
 
 おお、お前たち、・・・私を厭わしい頑迷な、または厭人的な人間だと思い込んで他人にもそんなふうにいいふらす人々よ、お前たちが私に対するそのやり方は何と不正当なことか!
 お前たちにそんな思い違いをさせることの隠れたほんとうの原因をお前たちは悟らないのだ。幼い頃からこの方、私の心情も精神も、善行を好む優しい感情に傾いていた。偉大な善行を成就しようとすることをさえ、私は常に自分の義務だと考えて来た。しかし考えてもみよ、六年以来、私の状況がどれほど惨めなものかを!・・・無能な医者たちのため容態を悪化させられながら、やがては恢復するであろうとの希望に歳から歳へと欺かれて、ついには病気の慢性であることを認めざるを得なくなった・・・たとえその恢復がまったく不可能ではないとしても、おそらく快癒のためにも数年はかかるであろう。社交の楽しみにも応じやすいほど熱情的で活溌な性質をもって生まれた私は、早くも人々からひとり遠ざかって孤独の生活をしなければならなくなった。折りに触れてこれらすべての障害を突破して振舞おうとしてみても、私は自分の耳が聴こえないことの悲しさを二倍にも感じさせられて、何と苛酷に押し戻されねばならなかったことか!しかも人々に向かって・・・「もっと大きい声で話して下さい。叫んでみて下さい。私はつんぼですから!」ということは私にはどうしてもできなかったのだ。ああ!他の人々にとってよりも私にはいっそう完全なものでなければならない一つの感覚(聴覚)、かつては申し分のない完全さで私が所有していた感覚、たしかにかつては、私と同じ専門の人々でもほとんど持たないほどの完全さで私が所有していたその感覚の弱点を人々の前へさらけ出しに行くことがどうして私にできようか!・・・何としてもそれはできない!・・・それ故に、私がお前たちの仲間入りをしたいのに、しかもわざと孤独に生活するのをお前たちが見ても、私を赦してくれ!私はこの不幸の真相を人々から誤解されるようにして置くよりほか仕方がないために、この不幸は私には二重につらいのだ。人々の集まりの中へ交じって元気づいたり、精妙な談話を楽しんだり、話し合って互いに感情を流露させたりすることが私には許されないのだ。ただどうしても余儀ないときにだけ私は人々の中へ出かけてゆく。まるで放逐されている人間のように私は生きなければならない。人々の集まりへ近づくと、自分の病状を気づかれはしまいかという恐ろしい不安が私の心を襲う。・・・この半年間私が田舎で暮らしたのもその理由からであった。できるだけ聴覚を静養せよと賢明な医者が勧告してくれたが、この医者の意見は現在の私の自発的な意向と一致したのだ。とはいえ、ときどきは人々の集まりへ強い憧れを感じて、出かけてゆく誘惑に負けることがあった。けれども、私の脇にいる人が遠くの横笛フレーテの音を聴いているのに私にはまったく何も聴こえず、だれかが羊飼いのうたう歌を聴いているのに私には全然聴こえないとき、それは何という屈辱だろう***!
 たびたびこんな目に遭ったために私はほとんどまったく希望を喪った。みずから自分の生命を絶つまでにはほんの少しのところであった。・・・私を引き留めたものはただ「芸術」である。自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。そのためこのみじめな、実際みじめな生を延引して、この不安定な肉体を・・・ほんのちょっとした変化によっても私を最善の状態から最悪の状態へ投げ落とすことのあるこの肉体をひきずって生きて来た!・・・忍従!・・・今や私が自分の案内者として選ぶべきは忍従であると人はいう。私はそのようにした。・・・願わくば、耐えようとする私の決意が永く持ちこたえてくれればいい。・・・厳しい運命の女神らが、ついに私の生命の糸を断ち切ることを喜ぶその瞬間まで。自分の状態がよい方へ向かうにもせよ悪化するにもせよ、私の覚悟はできている。・・・二十八歳で止むを得ず早くも悟った人間フィロゾーフになることは容易ではない。これは芸術家にとっては他の人々にとってよりもいっそうつらいことだ。
 神(Gottheit)よ、おんみは私の心の奥を照覧されて、それを識っていられる。この心の中には人々への愛と善行への好みとが在ることをおんみこそ識っていられる。おお、人々よ、お前たちがやがてこれを読むときに、思え、いかばかり私に対するお前たちの行ないが不正当であったかを。そして不幸な人間は、自分と同じ一人の不幸な者が自然のあらゆる障害にもかかわらず、価値ある芸術家と人間との列に伍せしめられるがために、全力を尽したことを知って、そこに慰めを見いだすがよい!
 
 お前たち、弟カルルと(ヨーハン)よ、私が死んだとき、シュミット教授がなお存命ならば、ただちに、私の病状の記録作成を私の名において教授に依頼せよ、そしてその病状記録にこの手紙を添加せよ、そうすれば、私の歿後、世の人々と私とのあいだに少なくともできるかぎりの和解が生まれることであろう。・・・今また私はお前たち二人を私の少しばかりの財産(それを財産と呼んでもいいなら)の相続人として定める。二人で誠実にそれを分けよ。仲よくして互いに助け合え。お前たちが私に逆らってした行ないは、もうずっと以前から私は赦している。弟カルルよ、近頃お前が私に示してくれた好意に対しては特に礼をいう。お前たちがこの先私よりは幸福な、心痛の無い生活をすることは私の願いだ。お前たちの子らに徳性を薦すすめよ、徳性だけが人間を幸福にするのだ。金銭ではない。私は自分の経験からいうのだ。惨めさの中でさえ私を支えて来たのは徳性であった。自殺によって自分の生命を絶たなかったことを、私は芸術に負うているとともにまた徳性に負うているのだ。・・・さようなら、互いに愛し合え!・・・すべての友人、特にリヒノフスキー公爵とシュミット教授に感謝する。・・・リヒノフスキーから私へ贈られた楽器は、お前たちの誰か一人が保存していてくれればうれしい。しかしそのため二人の間にいさかいを起こしてくれるな。金に代えた方が好都合ならば売るがよかろう。墓の中に自分がいてもお前たちに役立つことができたら私はどんなにか幸福だろう!
 そうなるはずならば・・・悦んで私は死に向かって行こう。・・・芸術の天才を十分展開するだけの機会をまだ私が持たぬうちに死が来るとすれば、たとえ私の運命があまり苛酷であるにもせよ、死は速く来過ぎるといわねばならない。今少しおそく来ることを私は望むだろう。・・・しかしそれでも私は満足する。死は私を果てしの無い苦悩の状態から解放してくれるではないか?・・・来たいときに何時いつでも来るがいい。私は敢然と汝(死)を迎えよう。・・・ではさようなら、私が死んでも、私をすっかりは忘れないでくれ。生きている間私はお前たちのことをたびたび考え、またお前たちを幸福にしたいと考えて来たのだから、死んだのちも忘れないでくれとお前たちに願う資格が私にはある。この願いを叶えてくれ。
 
ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン
ハイリゲンシュタット、一八〇二年十月六日
 
 
 
 ハイリゲンシュタットにおいて。一八〇二年十月十日
 
 親愛な希望よ。・・さらばおんみに別れを告げる・・・まことに悲しい心をもって。・・・幾らかは快癒するであろうとの希望よ。この場所にまで私が携えて来た希望よ。今やそれはまったく私を見棄てるのほかはない。秋の樹の葉の地に落ちて朽ちたように・・・私のためには希望もまた枯れた。ここに来たときと殆んど同じままに・・・私はここから去る。・・・美しい夏の日々に私の魂を生気づけた高い勇気、・・・それも消えた。・・・おお、神の摂理よ・・・歓喜の澄んだ一日を一度は私に見せて下さい。・・・すでに久しく、まことの悦びの深い反響は私の心から遠ざかっています。おお、神よ、いつの日に・・・おお、いつの日に、・・・私は自然と人々との寺院の中で、その反響を再び見いだすことができるのですか!・・・もはや決して?・・・否・・・おお、それはあまりにも残酷です!・・・
 
 
*原注・・・ハイリゲンシュタットはウィーン市の郊外。ベートーヴェンはそこを夏期 住居としていた。
**原注・・・原文にはヨーハンの名の記入が忘れられている。・・・文中傍点の個所はベートーヴェンの原文にアンダーラインのある部分である。
***原注・・・この痛切な嘆きについて私(ロラン)は一つの解釈を・・・今なお一度もなされた事がないと信じる一解釈をここに表明しておきたい。・・・『田園交響楽』の第二楽章の終りに、オーケストラが夜啼鶯(ロシニョール)と郭公(かっこう)と鶉(うずら)の啼(な)き声を聴かせることは人の知る通りであり、確かにこの交響曲のほとんど全部が自然のいろいろな歌声とささやきで編み上げられているともいえる。多くの美学者たちが、自然音の模倣描写であるこの曲の試みを是認すべきか、或いはすべきでないかということをしきりに論じて来た。しかもそれらの学者のだれ一人、「ベートーヴェンは(自然音を)模倣描写したのではない、何となればベートーヴェンには(自然音が)何にも聴こえはしなかったのだから」ということに気づいていない。ベートーヴェンは、自分にとっては消滅している一世界を、自分の精神のうちから再創造したのである。小鳥たちの歌のあの表現があれほど感動を与えうるのは正にそのためである。小鳥たちの声を聴きうるためにベートーヴェンに遺されていた唯一の方法は小鳥たちをベートーヴェン自身のうちに歌わせる事だったのである。

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