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統一教会員の間違い⑩ 「サタン」はいない

統一教会員の多くが、マスコミで統一教会を批判する人、反対弁護士を「サタン」と呼んでいます。また最近では解散請求まで持ち込んだ岸田首相までも「サタン」と呼ぶ人が現れてきました。
では「サタン」はいるのでしょうか。

文鮮明先生は、このように語られています。

牧会者の道
第五章 牧会者と食口指導
第四節 蕩減復帰と公式路程
より抜粋
神様の愛をもつならば、何も必要ないのです。欲心も必要ないのです。その愛の中にすべてあるのです。何の話か分かりますか? (はい)。私たちがすることは責任分担です。責任分担によって蕩減復帰という言葉が成立するのだということを確実に知らなければなりません。

 蕩減するには、個人的な蕩減、家庭的な蕩減、氏族的な蕩減、民族的な蕩減、国家的な蕩減、世界的な蕩減、天宙的な蕩減、その次には神様にまでの八段階なのです。段階で見れば七段階でしょう? 私が今、何の話をしましたか? 何が八段階ですか? (個人完成、その次は家庭完成、その次は氏族完成……。八段階を経ていかなければなりません)。経ていくにおいて、それは何ですか? 何のゆえにこれを経るのですか? 聞いたならば答えなければならないでしょう? (神様の立場に行けば、神様がすべてのことの主管者になるのですが……)。簡単なのです。蕩減復帰のために話したのです。今まで何を話しましたか? 少し、居眠りをしたのですね? このように、少し恥をかかせれば、目がひっくり返って聞くのです。何のために八段階を経るのですか? 私が教えてあげたではないですか? 何のために八段階を経るのですか? 蕩減復帰のためにです。分かりましたか? (はい)。蕩減復帰のために八段階を経ていくのです。

 皆さんは、いつこのような八段階を経ましたか? (いいえ)。「その八段階はレバレンド・ムーンがつくり出したでしょう? 私には蕩減は必要ない」、そう思うかもしれないですが、人間の責任分担が事実ならば、人間の責任分担によってこのような形態の過程があるのです。堕落しなかったとするならば、二十一年の間に一度に自動的に越えてくるのですが、このように垣がふさがっているので一つずつ処理しなければなりません。サタンがまとめているので一度には処理できないのです。ですから、一つ一つ処理し代置させていく作業をしないわけにはいかないのです。そのようにすれば、

サタンはいない

のです。蕩減条件はないのです。堕落したのでサタンが生じたし、蕩減条件が生じたのです。その蕩減条件は人間の責任分担があるので、不可避的な過程なのです。

これは蕩減の八段階を勝利すれば「サタンはいない」という話です。これは統一教会員だけが行く道ではない、人類すべてが行かなければいけない道だ、と文鮮明先生は言われています。この「み言葉」を受け入れた統一教会員こそが「サタンはいない」と思って、この蕩減の道を超えて勝利してみせてこそ、真の文鮮明先生の弟子といえるのではないでしょうか。それなのに、我々の活動を反対する人を「サタン」と呼ぶのはいかがなものでしょう。まさに「私は勝利していない堕落人間だ」と認めたようなものです。私は、まずは世の中の人を「サタン」と呼ぶのをやめ、自らの蕩減の道を勝利することに徹して欲しい、と思う毎日です。

「統一教会でいう蕩減法は真理ですが、その真理を実践しなければならないのに、皆さんはいつ神様を中心としてその深刻な時代にサタンと激闘してサタンを打ち破り、神様を迎えたのかというのです。ただの戦いではありません、自然屈伏をしなければなりません。」


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