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雑文まとめ

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#写真

コマーシャル・フォト特集について

『コマーシャル・フォト』2023年11月号にて特集していただきました。38ページにわたり実績や作品、インタビューが掲載されています。単独で特集いただくのは2018年10月号以来、5年ぶりで二度目になります。巻頭ページでは俳優の鳴海唯さんを撮り下ろしました。くわえてショートムービーもつくりました。また、ここ数年で変化した部分として、映画やドラマのスチール、CMやMVなどの映像のお仕事について大きく扱っていただいています。 - 撮影の現場にいくと、あの人はどの美大や専門をでた

多摩美術大学 講義メモ

2023年5月13日、多摩美術大学において林響太朗氏が受け持つゼミでゲスト講義をさせていただきました。テーマは「時」でした。そのときにお話ししたことのメモを残します。ゲストは、仕事でもよくご一緒する藤代雄一郎氏と田上直人氏と濱田の三人でした。 - ・写真は言葉である。 ・まだ名前のないものごとを見つける作業。 ・例えば英語には「木洩れ陽」を表す単語がない。 ・写真は一枚でそれを表す言語になりえる。 ・写真にすることで言葉にならない感覚を共有できる。 ・写真は時間でもある

記録から記憶へ 〜写真を通してかかわるということ〜

「私たちと一緒に小豆島へ来てほしい!」その言葉がすべてのはじまりだった。 きっかけは「醤の郷+坂手港プロジェクト」を企画する原田祐馬くんと多田智美さんに出会ったことだった。大阪のとあるイベントの打ち上げで彼らと偶然一緒になったのだ。僕が自己紹介がてらに持っていた作品集を見るなり、彼らはその場で僕を小豆島に誘った。それが冒頭の言葉だった。 彼らの熱意に打たれた僕は訳のわからぬまま、その場で「行きます!」と応えてしまった。その時点で、瀬戸内国際芸術祭2013の開幕まで約一ヶ月

あわじしま報知

先日、訳あって故郷である淡路島の地元紙に寄稿したのですが、それに加筆修正した文章をこちらにも掲載してみます。 --- 淡路島を離れてから今年でちょうど25年になります。震災の年に大学にあがってからそのまま大阪で暮らしています。35歳までデザイナーをしていましたが、いまは写真の仕事をしていて、月のほとんどを東京やそのほかの場所を行き来しながら過ごしています。 当然たくさんの人に「なぜ東京に住まないの?」と聞かれます。ご存知かもしれませんが、写真産業は東京に一極集中していて

DISTANT DRUMS ZINE / RED

写真集『DISTANT DRUMS』(2019・私家版)の出版に合わせて2種のZINEを製作し配布しました。テキストは日頃お世話になっている仲間たちに寄稿してもらいました。写真集自体にはステートメントをはじめ、その趣旨を説明するテキストは一切掲載されていません。ZINEでは、寄稿者それぞれの目線に触れてもらうことで、読者自身に写真集のイメージを立ち上げてもらえるようなものを目指しました。ここでは4人に寄稿していただいたRED版のZINEを転載します。 魔法的静寂を聴けはまち

私が撮りたかった女優展のこと、その2

『私が撮りたかった女優展 II』 が終了しました。混乱した世相のなかわざわざ会場までお越しいただいたみなさん、ありがとうございまいました。ここでは今回取り組んだことについてお話ししたいと思います。 プリント あえて額装せず一枚のペーパーに連続した組写真でプリントしました。写真はかなり大胆にトリミングしてレイアウト、きるだけたくさんの写真を見てもらえるようにしました。壁面にクリップで留めるだけですが長い余白を設けて床面でロールさせて野暮ったくならないようにしました。サイズは以

私が撮りたかった女優展のこと、その1

『私が撮りたかった女優展 II』のために堀田真由さんを撮らせていただきました。それにともない『コマーシャル・フォト 2020年3月号』にて本展についての記事が掲載されています。ここでは誌面の都合上、掲載されなかった答えの全文を公開してみます。 堀田真由さんを被写体として選んだ理由 ポートレートを撮るうえで大切にしているのは「目」です。初めて堀田さんの目を見た時にいいなと思ったのが理由です。柔らかだけれど強いというか(それは「彼女自身」でもあると撮影したあとに気づきました)。

のこるもの

写真集なんてふつうは滅多に買うものではないと思います。とくになくても生きていけます。安くても2〜3000円はしてなかなかの出費だし、サイズもだいたい大きいから本棚に収まりにくい。どんなに仲が良い友達でもなかなか自分の本を買ってもらえるわけではないし(でも買ってくれた人たちありがとう)、ましてや他人なら言わずもがなです。写真集はほんとうに誰かのもとに届けるハードルが高い創作物なのです。 そんな写真集をつくるときのひとつの目安は、普段写真家の写真なんか見ない、自分がふだん接しな

もう3年、まだ3年。

才能はどんな人でも持っているし持っていないともいえる。あなたは写真だよ、と誰かにはっきりと言われたわけではないが、そうかもしれないと気付いた時にはもう35歳だった。それって、どちらかというとそろそろ落ち着こうとする歳だ。 案外、自分のことは自分が一番わかっていなかったりするのだ。誰かに気づかせてもらわなければ、持ってなかったものとして終わっていただろう。自分は幸運だったと思う。そして、この数年間で、なにかを始めるのに遅すぎるということはない、というなかば都市伝説のような言葉