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やり方を揃えない、無理しない。

教員といえば、研修である。
自分もこの数カ月、全国の様々な研修の場に何度も立たせていただいた。
「不親切教師のススメ」や、クラス会議を含めた「自治的学級づくり」あたりのテーマ依頼が多い。

どの場でも「質問コーナー」で確実に出る質問がある。
それは
「どうやって周りの理解を得るか」
である。
あるいは
「どうやって周囲と揃えるか」
である。

多くの人にとって、この壁が高い。
たとえ校長の立場だとしても、周囲の理解を得るのには容易ではない。
せめて学年主任ぐらいの立場であれば、自分からやろうと言うことは何とかできる。
しかし、新卒数年目や異動したてなどの立場では、なかなか言えたものではない。

そしてどの立場であっても「揃える」は必ず無理が生じる。
なぜならば、違う人間が教える違う相手だからである。
「全員Mサイズで統一」は必ず無理が生じる。

だからこそ、多様な実践が保障される自由度の高い教育現場であることが大切である。
懇切丁寧な方がいいこともあれば、不親切な方がいいことも多々ある。

例えば『不親切教師のススメ』では「けんかを解決してあげない」という基本方針がある。
自治を考える時、けんかのような対立状況は、最も深い学習のできる機会であると捉える。
これを安易に奪わない。
本人と相談して可能な限り、見守る姿勢をとるのである。

これがなかなかできない。
同僚だけでなく保護者も含めた周りからのプレッシャーに耐えかねる。
ベースには「けんかを解決してあげるのが先生の仕事」という常識がある。

ここが子どもが育たないポイントなのである。
そういう一見「親切」な行為は、長い目で見て子どもを不幸にする。
敢えて解決してあげないことは、一見不親切なようで、子どもの問題解決力や折り合いをつける力を大幅に高める。

「いじめ」であっても即座に介入して解決が正しいとは限らない。
把握は絶対にした方がよい。
相談にも乗った方がよい。
まずいじめられている子どもを守るのが第一優先事項であることに疑いはない。

ただし同時に、本人に「どうしたい?どうして欲しい?」と尋ねることが必須である。
「自分でやってみるから、見守っていて欲しい」と言ったら、自立への第一歩を踏み出しているといえる。
自分には「安全・安心」の基地があると思えばこそ、外へ出て挑戦できるのである。
自らが勇気を出していじめをはねのけたという経験は、子どもにとって一生ものの自信になる。

確かに、いじめがあるという事実は学級の問題であり、学校側の課題である。
しかし人間関係の課題は、あくまでも子ども自身の課題である。
子ども自身が解決できる方向に導くことが、学校としてあるべき課題解決の姿である。
なぜならば、学校の存在意義は、子どもがよりよく成長することだからである。

つまり「いじめを解決する」は間違いなく大切なことなのだが、そのやり方である。
大人が全て介入して解決してしまったのか、子ども同士のぶつかり合いの中で解決されたのか。
両者は一見同じ「いじめが解決された」という様相を呈しているが、その意味や内実において正反対の結果をもたらす。

「犬も歩けば棒に当たる」で、学校に来れば人間関係の衝突は必ず起きる。
それこそが本当に生きた学びの種なのである。

クラス会議をすれば、やはり何かしら起きる。
腹を括って子どもに任せる時間を作るのだから、当然である。
そういう自分達で起こした問題を自分達で解決するからこそ、真の生きる力がつくのである。

このあたりの価値が伝わっていないと、周囲の理解は得られない。
「何も起きないことがいい学級経営」という誤解・誤学習があると、この価値がわからない。

また、例えばクラス会議という手法一つをとっても、万能ではない。
全員に一律にやらせるべきことでもない。
同じく問題解決能力を身に付ける別の方法は、探せばいくらでもある。
あくまで現時点での自分としての最適解だと思って、あらゆる実践を紹介しているだけである。
一律に強制するものでは決してない。

無理をしないことである。
特に『不親切教師のススメ』における実践は、常識に挑戦している分、子どもが周りとは異なる育ちをする可能性が高い。
学校生活で起きるあらゆる問題を「自分ごと」と捉え、自分たちの力で解決していく体験を積み重ねることになる。
ずばり、共同体感覚をもちながらも自立した子どもを育てることをねらっている。
その選ぶ道は決して平坦なものではなく、レールも敷かれてない。
山あり谷ありだが、そこから見える景色は他とは確実に違う。

それを「いいね!」と言ってもらえるかどうかは、子どもの姿という事実しかない。
やってみたいと思った部分について、できるところからやってみることである。

変えられるところを変えてみること。
変えられないところに着目しすぎないこと。

子どもを見る時にも、自分自身を振り返る時にも大切な視点である。

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