中村憲剛
オーナカムラ、ケンゴナカムラ~♪応援歌がこだまする。
初めて憲剛選手を観たのはyoutubeでネットサーフィンをしていた。修士論文が行き詰まっていた。憲剛選手のインタビュー画像(確かボールの蹴り方みたいな動画だった)、そして等々力の温かく熱い応援。
浜松に生まれ隣に磐田、ライバルに清水。そこにスッと入ってきたフロンターレ。まるで憲剛のスルーパスのように。
当時フロンターレは無冠ターレ、シルバーコレクターと揶揄されていた。そしてメダルを外す事件が起きるんだ。
でも、それがフロンターレに引き込まれるきっかけになる。丁寧に謝り、そしてプレイで誠意を見せてくれた。
まだエイジが守護神で、ジュニーニョがいて、鄭大世がいた。関さんが監督だった。浜松に住んでいるから等々力は遠くて、ずっとアウェイ席で観てきた。ヤマハ、日本平、瑞穂、豊田。そして結構負ける笑。日本平は本当に勝てなかったね。でもフロンターレの選手の声が聞こえてくる。清水のコーナーキックで、憲剛選手の集中!って声が今でも耳に残っている。
初めての等々力はそれはもう興奮した。ホームGゾーンで応援。なんて心地いいんだろう。フロンターレの応援はとても温かい。何よりも好きなのはブーイングを決してしない。他のチームに移籍してもフロンターレの選手になれば、拍手をするところだった。
11年あっという間だった。できることなら今年が来てほしくなかった。実は僕は浜松市役所に入り、陸前高田市の横の大船渡市に復興支援に1年間行っていた。支援はブームじゃないを合言葉に。だから、陸前高田市にずーっと支援をしてきたフロンターレがとても愛おしかった。
引退セレモニー。僕はアウェイ側で観ていた。もう等々力に来ることがこんなに辛い日はなかった。飛ぶように売れる中村憲剛グッズ。アズーロネロでも、グッズ売場でも今年のコロナなんて関係ないぐらいな勢いで売れていた。そして憲剛見た?僕は涙しか出なかった。
ベガサポからの花束。こんな選手かつていたんだろうか。いや、僕の知る限りいない。
スタジアムじゃ遠くて憲剛の顔はあんまりみえなかったし、涙で憲剛の声は聞こえていたけど信じれなくてあんまり聞きたくなかった。だから、Daznで何度も見返した。
憲剛は逆だよって言っていたけど、でも、憲剛からたくさんのものをもらった。川崎市長は、153万人の市民からっていっていたけど、僕もいるし、たぶん日本全国に憲剛を愛する、憲剛から元気をもらった人はいっぱいいると思う。本当にありがとう。今でもこれからもよろしく。
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