僕と中村憲剛

noteデビューが中村憲剛選手の記事というのも運命を感じる。

中村憲剛選手、僕にとってかけがえのない選手であり、ヒーローだ。

僕は浜松市出身。サッカー王国静岡で隣の市にはジュビロ磐田、そしてライバルチームには清水エスパルスがある。

10年間川崎フロンターレを応援している。「何故、川崎フロンターレなの?」そう聞かれる。それは憲剛選手との出会いがきっかけだった。

会ったことも無い、話したことも無い、でも憲剛選手には本当に救われた。丁度僕が大学の修士論文に行き詰っている頃、憲剛選手のプレイ、そして等々力陸上競技場のサポーターの温かさ、なんとも言い知れぬ興奮を覚えた。これがサッカーだ。なんとなくそう思った。憲剛選手からスタートしているが、等々力の温かさに本当に感動した。応援スタイル、どんなに負けても決してブーイングをしない応援。一度フロンターレのユニフォームに袖をとした選手は相手のエースだって守護神だって拍手をする。

丁度フロンターレがメダルを外した事件がある。でも、それが僕をフロンターレにのめりこませてくれた要因だったりした。しっかり謝り、そしてその後は支援はブームじゃない、色々な企画で日本に元気をくれたし、色々な企画でサポーターを頼ましてくれた。

憲剛選手に出会わなければ僕はフロンターレのサポーターになっていない。等々力は遠いから、実はアウェイ席での応援が多かったんだけど、でも、川崎を応援していると元気になっていく自分がいた。

本当は川崎市だったらホームは毎試合等々力に足を運んだかもしれない。それぐらい好きだった。今の僕があるのは憲剛選手のおかげ、生きがいはフロンターレ。

14番を背負い等々力に初めて応援しに行った時は涙で目の前が見れなかった。それぐらい嬉しかった。

本当はやめて欲しくない。まだできると思っているし、フロンターレには憲剛選手がまだ必要。でも、ケンゴサポなら憲剛選手の選択を心から受け止めたいと思う。

長年ありがとうございました。本当に楽しい10年でした。そしてこれからも日本サッカー界を引っ張っていってください。

まずはお疲れ様でした。


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