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#29 ありのままの自分を飾らずに、しっかり観る

孤独から抜け出したい、
偽りの自分でなく、本当の自分でいたい
そんなことをよく聞きます

本当の自分、
仏教では「本来の自己」と言いますが、
それは何か

本当の自分、本来の自己、
偽りの自分、偽りの自己、これらは無いということです

私たちは、本当の自分とか、
本当の自分がしたいこととか、
本当の自分の気持ちはこう、とか
そういう表現で、
今のこの自分とは違うんだ、
もっと違う自分がいるんだと思いたいんですね

今、就いている仕事での自分、それが本来の自己ではなく
どこか他にあるとか、
今、家庭や友達の中にいる自分、それが本来の自己ではなく
どこか他にあるんではないかと、

あたかも、その自分は仮の姿で、本来の自分は他にあるんだと
受け止めている

何か今の自分がうまくいかない時、
どこかで本当は、こうじゃないんだと求めたくなる

そしたら、その本当の自分というのを
今ここで、出したらいい、連れてきたらいい

だけど、そんなことできないですよね
ということは、本来の自分というのは無いんです

今、うまくいっていない自分を偽りの自分だとして、
自分に汚名を着せて、もっと他に
本当の自分がいると幻想や妄想をしている
まさにこのことが、
見据えるべき「本来の自己」 です

私自身、生まれてここまで、
何か私のオリジナルというのは無いです
ふと気づいたら、みんなが周りで日本語を話している
そしてだんだんと私も話せるようになる
昔から受け継がれてきた言語ですね

食べ物や色や服なども私らしさというわけでなく
TVやネットなどの情報、あるいは誰かの情報など
そういう影響を常に受けて、
私はこれが好き、私らしさと思っています

でもそれは、周りの人たちが作ったもの、
周りの人たちが好んでいるもの、
そういったものが、自分の好みなどになります

そして、自分らしさや私らしさとか、
個性とか言ったりします

でもそこに、
本当の自分とか、
偽りの自分とか、そんな区別があるでしょうか

人間の頭というのは、少し先の未来を考えています
しかし身体は、今現在を生きています

車で出かける時、車でなくてもいいですが、
スマホなどで、ナビを使います
目的地を入力して、使う手段を選択すると、
詳しく誘導してくれます

ですが、頭で「自分はここに行きたいな」と思っても、
それだけでは誘導してくれません

やはり、自分自身が今どこにいるのか、
これがわからないと、どうやっても行きたいところへ行けませんし、
行き方すら見えてきません

自分が今現在どこにいるか、現在地、
これは全くいつわる必要ありません
きちんと、ありのままの現在地を認める

そうすることで、思い描いている少し先の未来、
そこに向かって進んでいくことができます

ありのままの自分を飾らずに、
しっかり観てはいかがでしょうか

本来の自己というのは、
徹底的に自分が何をしなければいけないかを、振り返るということ

生きていれば、いろんな問題がもちろんあります
そして、いろんな自分もいます
父母として、子として、友達として、
同僚として、上司部下としてなどなど

それぞれに、自分の顔があるかもしれません
だんだんと、それが一つになる人もいるかもしれない

しかもそれぞれすべてに、人間関係があります
それをすべて上手くやれる人、いるかもしれないですが、
ほとんどの人はそんなことできないです

あんなこともある、そんなこともあると、
思いを巡らせていると、それが迷いになります
そして、本来の自己を忘れてしまうんです

どんな人でも、不安でしょう、迷うでしょう

しかし、今、あなたはそこに立っているんです
どんな人であれ、そこからスタートするんです
そこからしかスタートできないんですよね

ですから、本来の自己を忘れず、
そこにきちんと立ち返って忠実に行う

そうすることでしか、迷いを断ち切るとか、
不安を払拭するなんてことは出来ないです

あなたのするべきことは、なんでしょう
そこに向き合いましょう


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