聖書はキリスト教徒には読めない仕組みになっている
聖書はキリスト教徒には読めない仕組みになっています。
つまり、信仰を持つと、目が見えなくなります。正常な判断が出来なくなるのです。
キリスト教徒は聖書を自由に読むことができません。
聖書を読むということは、言葉の聖霊が働くのです。キリスト教徒は、働きません。
キリスト教徒または宗教家は、人を見下す段階において、聖書からは締め出されます。
それにキリスト教は、聖書を断片的にしか理解できません。ステロタイプな解釈しかしていません。
マタイ書は女性差別はないのですが、マルコ、ルカ書は女性差別しています。多分、パウロの指示で、キリスト教思想に書き換えたものがマルコ書です。
パウロが、イエスを殺したのはユダヤ人だと言ったことで、キリスト教徒がユダヤ人差別や殺人を行ったのは有名ですが、
パウロは悪魔です。
パウロの言葉には気を付けてください。人を引き込む力があります。
パウロは七十人訳聖書を使っていましたが、ヘブライ語聖書の誤訳を教義の中心に持ってきました。
その言葉は「義なるものは信仰によって生きる」という言葉ですが、 正しい訳は「義なるものは自己の誠実さによって生きる」という言葉です。
つまり宗教ではないのです。
パウロ文献はカスです。
パウロは人殺しなのにキリスト教は聖者として崇めています。
パウロは、ステファノの殺害に参加した。石を投げて殺した。
みなさんそんなキリスト教はおかしいと気づくべきです。
現在、キリスト教国であるアメリカによる、世界支配が続いてますが、
支配とは悪魔の力です。マタイ書に、イエスと悪魔の対話に書かれていますが、
悪魔が、私を崇めればこれらの都市をおまえにあげようという言葉は、
すでに悪魔がローマ帝国を支配していたのです。
みなさんの幸福を願っています。
聖書は不滅の書物です。いいひとはどんな人か、悪い人はどんな考えを持っているかも、ユダヤ人の信仰心のなさも書かれています。
聖書を信じるか信じないかはあなたの自由ですが、
聖書を使って悪いことを勧めるのがキリスト教です。
何もするな、祈れ、ヒトヲコロセ、これがキリスト教です。
ニーチェのアンチクリストの中には、
イエスは福音を説いたがパウロは禍音を(わざわいを)説いた。
という言葉があります。
キリスト教は禍音を説いています。
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