母がガンだった話 其のニ

割と重ための記事が続きます。

パロディチックな文章も書いてみたいですが。

さてさて、大学を卒業して就職するときの話から。

『大学で農村計画を専攻していて、地元に帰っても何か地域の役に立つことができればと思ってます!』

なんだか聞こえはよくって優等生っぽくてそれでいても中身あんまりない理由をこじつけて、たまたまFBでトマトを生産している会社を見つけて、なんとかスライディングして無理矢理滑り込んで、地元に帰ってくることができました。

心の中では家族のことが心配で、自分が耐えられなかったことに気づきました。

まぁ、まずこの話をカミングアウトすることに対して抵抗しかなく、こじつけたそれっぽい理由を話す自分がだんだん嫌になってきていたことは確かですが。

それでいても、自分の素直な感情に気付かないフリをしてモヤモヤしていたので、対話バカと呼ばれていた同級生に相談してみました。

その友達は、アーノルド・ミンデルが提唱しているプロセス指向心理学(プロセスワーク)の探究をしていて、心の中の葛藤を扱いながら、場を進めていくことをしていました。

愚直なまでに、トライしている彼の姿を見て、あ。私まだまだ何も失敗してなかった。自分にもできることまだまだあった。と思わせてくれた友達でもあります。

そんなこんなで、話を聞いてもらっていたのですが、まぁ、ほぼ全く自己開示できないし、自分の感情に触れるワードが言葉に出なかったのを覚えています。

『なんで悲しそうな話しているのに笑っているの?』

と聞かれ、あれっ、なんでだっけと思いながらも、

『えっ、だって悲しい顔したら、悲しくて泣いちゃいそうやん。』

『泣いたらダメなん?』

その言葉を聞いた瞬間、涙が溢れて出てきて止まりませんでした。自分でもなんでこんなに泣いているのか分かりませんでした。

『あれ、めっちゃ悲しかったんだ。苦しかったんだ。』ということに気づきました。

ずっと

『笑顔が素敵やね!』

と言われることが多かったのですが、喜怒哀楽の

『怒』『哀』の感情が自分にはいつの間にか欠落していることに気づきました。

『笑顔でいなきゃダメ』

『心配かけるようなことをしたらダメ』

『いい子にしていなきゃダメ』

みたいな、無意識的な固定観念があって、ずっと自分の本当の感情に気付かなかったんだと思いました。

さらに深く入っていく(自分の内面をえぐっていく)ため、私が母の役、友達が私の役になり(流れに応じて入れ替わる)対話するロールプレイにトライしました。

対話を促進していく内に、

『あなたが病気をしているから、自分の足かせでやりたいことにチャレンジできない!自分の可能性がなくなっている!もっと自由に生きたいんだと。』

なかなか、自分にとってエグめの感情が湧いてきました。

そんなこと思っちゃいけない。思っていないんだと言い聞かせていたんだと。

ずっと言葉に出すのをはばかられていたんだと。

自分の感情に気付けたからと言って、それでどうなる訳でも無いのですが、自分自身の『無意識』の部分に触れ、なんとなく心の中の引っ掛かりが無くなったように感じました。

湧き上がってしまったイヤな感情は、フタをして閉じ込めるのではなく、一旦受け入れてあげるのが大事なんだとそのとき学びました。

特に何か結論付ける訳でもないですが、自分にとって衝撃的な体験だったので、書き記しておきます。


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