「内閣不信任案」提出をパフォーマンスと言わせないために。

※Twitterで書いたものが字数制限が故に、言葉足らずであったと感じたので補足、加筆したものです。
※特定の政権の信任、不信任などの個別具体の話でなく、制度、手続きの抽象一般的な視点からの話です。御留意下さい。

1.内閣不信任決議案の概要

内閣不信任決議案とは以下のようなものです。
・衆議院のみで提出可能
・提出には少なくとも発議者1人と賛成者50人の計51人が必要
・一事不再議(要は、同一国会で一回のみ提出可能)
・先決案件(衆参両院の本会議・委員会における内閣提出による全ての議案の審議・審査・政府質疑が停止)
・可決には、出席議員の過半数の賛成が必要。
・可決されると、内閣は10日以内に衆議院解散または内閣総辞職のどちらかを選ばなければならない。

全ての議員が発議権の一部を有しており、万が一可決されれば全ての衆議院議員の身分や政府そのものに直接的な影響があるのです。
簡単に言うと、一回使われてしまうと他の議員が同一国会内で使えなくなってしまう、もし内閣が解散されると全員が即時失職してしまうものです。

「内閣不信任案は、立憲民主党だけでなく、全ての衆議院議員にとって最も重い判断が必要な議事です(憲法69条)。」と書いたのはこういうことです。

2.なぜ「パフォーマンス、年中行事」と言われてしまうのか

先述のような効果があることから、従来から、内閣不信任案提出に当たっては他の野党や少数会派(時には与党議員まで)にも説明し、提出及び賛同を得るために事前に説明や調整を最大限行ってきました(例え表向きだけであっても)。
その上で、可決される見込みがなくてもどうしても内閣が信任に値しないから決議案を出すべきだと考えた51名以上で提出することは全く否定されるものではありません。
今までもそのようなことは多々あり、この場合に、不信任案には明確に賛成しない(一緒に出せなかった、出さなかった)野党は棄権・欠席するのが慣例でした。
(以下、菅直人内閣不信任案に対する動きや考えを記した共産党・志位委員長のHP記事。参考まで)

しかし今回、立憲民主党が内閣不信任案提出にあたって他の野党などへの説明や賛同を求める調整はないと聞いています。
もし逆の立場、例えば他の野党が事前説明なく可決見込みのない不信任案を提出し続けたら何と言うでしょうか?
「一度しか出せないのに、事前に説明すべきだ」「少数の権利を奪うものだ」「配慮が足りない」「独断的だ」「どうせ可決しないのに」等々、言いませんか?

そういうことなんです。

確かに数があれば単独で提出することはできます。しかしそんなことをやり続けてはいいのでしょうか。
「多数派は少数派への配慮をすべきだ」、「一部の人が権力を恣意的に使ってはいけない」。きっとどこかで聞いたことがあると思います。
可決見込みがあるかどうかという視点から取り上げられがちですが、批判する方もされる方も制度の本質的な部分から議論すべきだと思います。
面倒くさいかもしれませんが、それが民主主義の作法だということは、私なんかが言うまでもないと思います。

「特に、野党第一党たる政党は単独で提出できるとしても、提出や可決に向けた賛同を得る努力を最大限すべきだ」と書いたのはこれ故です。

3.最後に

きちんと他党に説明、調整をしておけば余計な軋轢を生むことはないし、しっかり反論できるんです。
しかし今のやり方だと、パフォーマンスだ!いや違う!と言った水掛け論にしかなりませんし、どっちつかずになってしまいます。(そう言った意味では、「パフォーマンスの何が悪いんだ!」と反論された方が納得は得られると思いますが…)

念のため、最後に。批判する気は毛頭ありませんので。私自身、党所属議員の秘書をやっていた時期もありますし、今も先輩や後輩、同僚の秘書、地方議員や支援者の方々が各地域で奮闘されています。
そんな国会議員以外の方々が、パフォーマンスか否かという表明的な話で現場で非難されることのないよう、きちんと相手を説得できる環境を国会の場で作った方がいいのにな、という思いからです。

本当に、本当に、僭越ながら。

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