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様々な情報源から推理する歴史の流れと、そこからみえるこれからの生き方のヒント⑥-1 日月神示


前回、日本の近代までの流れを見て来ました。




今回は、これまでの「歴史の流れ」を踏まえた上で、「これからの流れ」を見ていきたいと思います。



日本の神様の言葉「日月神示(ひつきしんじ)」について見ていきます。





日月神示


日月神示に関しては、15年ほど前に船井幸雄さんの本を読んで、それで知りました。



船井幸雄さんがオススメしていたので、それで気になって、読んだのでした。



当時読んだ本が、改訂され、出版されていました。




日月神示について知らない、という方には、この本がまとまっていてオススメです。



また、Toland vlogさんの動画でもまとめられて、こちらもオススメです。





日月神示は、昭和19年(1944年)(終戦の1年前)から降り始めた「日本の神様の言葉」です。



神典研究家で画家でもあった、岡本天明さんの手が勝手に動き、自動書記のように書き始めたのでした。



当初は、天明さん自身も疑っていたものの、どうもちゃんとした神様のものではないか、ということになり、解読が進みました。



以下、Wikipediaから引用します。


「富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる」

「仏もキリストも何もかもハッキリ助けてシチ難しい御苦労の無い世がくるから ミタマを不断に磨いて一筋のマコトを通して呉れよ 今一苦労あるが この苦労はミタマを磨いておらぬと越せぬ この世始まって二度とない苦労である」

解釈としてはマコトの神が世に出現して神の力を現して、すべてを助け何の苦労もない理想的な世界に立て直していくが、その前には人類は未だかつてなかったほどの大災厄や大試練を迎えなければならない。助かるためには身魂(心、精神、身体)を絶え間なく磨き、鍛練しつつ備えよ。磨いていなければ助かることが出来ない。という内容だと考えられている。

※ 日月神示の中ではこのような大災厄や大試練を「三千世界の大洗濯」や「大峠」と呼んで、多くの帖で書記されている。この大峠は我々の住むこの現界のみならず、神界、霊界、幽界なども含めたすべての世界とすべての存在に等しく起こるとされ、森羅万象のうち何ひとつそれから免れることができるものは存在しないという。また、この現界よりもはるかに高次元で高度と思われる神界の神々や守護神といった存在でもこの大峠を越せない存在があるという。

この身魂磨きや心の浄化、また正しい食生活で身体を健康で強壮なものに保っていくことの大切さは日月神示の主題と言っても良く、我々ひとりひとりがこの現界をより良く生きるためにも、この先に起こるとされる大峠を無事に乗り越えるためにも極めて重大なことであり日月神示自体が降ろされた理由もこれに尽きると考えられる 。なお、日月神示はこれらの帖を手始めに昭和19年から天明が亡くなる2年前の昭和36年まで17年間にわたり書記されていく。神示には「人間の生き方」「正しい食生活について」「夫婦の本当のありかた」さらには「霊界」の実相(霊界のことについては節を設けて後述)についても書記されているなど非常に広範囲にわたっての記述が見られるが、未来に関するいわゆる「予言書」的な記述部分も多く見られる。

Wikipedia




この神様によると、この世始まって二度とない苦労(「三千世界の大洗濯」や「大峠」)があるが、それを超えると、ミロクの世という明るい時代が来るのだとか、、




大峠を越え、ミロクの世へ


そして、「子の年真中に前後十年が正念場」という言葉もあります。



ミロクは五六七と書くようで、コロナとも読めます。


そういったところから、2020年がその「子の年」で、2025年までが正念場なのではないか、ということが言われています。



神示には過去にも世の建替は六度あったとあり、今後に起こるとされる大建替で七度目だという。そして、これが最後なのだとも書記されている。過去六度のそれぞれについてはその全てが現界のみの建替でしかなく、うわべだけの神示で言う「膏薬(こうやく)張り」のような建替の繰り返しであった為、根本的な大建替にはならず、すぐに元に戻り永続しなかったのだという。そして、今後に起こるとされる大建替では過去にあったそれらとは全く異なり、この現界はもちろんの事、神界、霊界、幽界等も含めた全ての世界に起こり、天明が最初に麻賀多神社の社務所で書記させられたように、文字通り「この世始まって二度とない苦労である」となるような途方もない大災厄と大変動が始まりのうちには起こるのだという。

「今度は世界中、神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより外には道ないぞ。大地震、ヒ(火)の雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれ(逃れ)ようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。」(天つ巻第四帖。富士の巻第二十帖。紫金之巻第五帖)

「建替と申すのは、神界、幽界、顕界(現界)にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。建直と申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。」(水の巻第十二帖)

「メリカもギリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりて㋹の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ。どこから何んなこと出来るか、臣民には分かるまいがな。」(「富士の巻」第三帖)

「地つちの軸(地軸)動くぞ。またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。」
(磐戸(一八十)の巻第五帖。下つ巻第二十八帖)


「次の世がミロクの世、天も晴れるぞ、地も輝くぞ、天地一(ひとつ)となってマコトの天となりなりマコトの地となりなり、三千世界一度に開く光の御代ぞ楽しけれ、あな爽け、あなすがすがし、あな面白や。」( んめの巻(梅の巻)第十七帖)

「マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組み。」(五葉之巻第十六帖)

Wikipedia



以下、「五六七の仕組 日月神示が予言する日本と世界の未来」から引用しながら進めます。




「何もかも三分の一にする」

「日本はまた潰れたようになる」

「日本に食べ物なくなってしまうぞ、世界に食べ物なくなってしまうぞ」

「日本の人民良くならねば、世界の人民良くならんぞ」

「向こうの悪神は、今度は神の元の神を根こそぎに無きものにしてしまう計画であるから、そのつもりでフンドシ締めてくれよ」

「神の国は誰が見ても、どう考えても二度と立ち上がられん。人民皆外国につくようになって、この方の申したこと、神示に書かしたこと、皆嘘ざと申すとこまで世が落ちてしもうてから初めて神力現われるのざぞ」

「立て壊し、立て直し、一度になるぞ」




そして、厳しい時代を乗り越えた後に、本当の意味での平和と繁栄の時代(ミロクの世)が訪れるそうです。


「ロウソクの灯、明るいと思うているが、ミロクの世の明るさはわからんであろうが」

「神の国、光りて目あけて見れんことになるのざぞ」

「世変わりたら生命長くなるぞ」




そして、世界は日本を中心に一つにまとまるそうです。


「神の国(日本)拝むようになるのざぞ」

「世界一列一平、一つのてんしで治めるぞ」



そういった大きな変化が起こるのが、これからではないかと言われています。




身魂磨き


そして、そういった大峠を越えるためには、身魂(みたま)磨きが必須と言います。



以下、「一厘の仕組」というHPから引用します。


二二は晴れたり、日本晴れ。
いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、
この世初って二度とない苦労である。

(ひふみ神示 第一巻 上つ巻 第1帖)

一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ、
それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、神が拾ひ上げて弥勒の世の臣民とするのぞ、
どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな、
いざといふときには神が知らして一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。
何よりも改心が第一ぞ。

(ひふみ神示第三巻 富士の巻 第19帖)

大峠の越え方(1)



どうも神様は、「臣民(日本人)は可愛いから旅の苦をさしてある」そうです。



これから2025年まで?の「旅の苦」を通して、身魂磨きを進め、「大禊ぎ祓い」を経て、ミロクの世になるのだとしたら、少し未来に希望が持ててきます。




改心


たれ一人、悪いわがままの癖持たん人間ないぞ。
その癖を直して行くのが、皮むくことぢゃ。改心ぢゃ。

(ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第90帖)

梅の実から梅が生へるのぢゃ。その梅に実出来て又梅が生へるのぢゃ。
人間も生れかわっても死にかわっても、中々に悪いくせは直らんもんぢゃぞ。
それを少しづつ直してかからねばならん。
努力次第で漸次直るのぢゃぞ。

(ひふみ神示 第二十七巻 春の巻 第32帖)

悪いくせ直さねばいつ何時までたっても自分に迫ってくるもの変らんぞ。
おかげないと不足申してゐるが、悪いくせ、悪い内分を変へねば百年祈りつづけてもおかげないぞよ。

(ひふみ神示 第二十八巻 夏の巻 第10帖)

まだまだ落ち沈まねば本当の改心出来ん臣民沢山あるぞ。
(ひふみ神示 第三巻 富士の巻 第3帖)

世界中の人民に云ふて聞かして改心さすのではキリがないから大変を致さなならんのざぞ。
(ひふみ神示 第二十二巻 アホバの巻 第18帖)

世界の民みな一度に改心するやうに、どん詰りには致すのであるなれど、それ迄に一人でも多く、一時も早く、改心さしたいのぢゃ。
(ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第18帖)

改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、
臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、草の葉一枚でも神のものぞ。

(ひふみ神示 第二巻 下つ巻 第24帖)

大峠の越え方(2)



悪いくせは中々治りませんが、努力次第で漸次直るとのこと。


どん詰まりになる前に、改心進めたいものです。




身魂磨き


よくこの神示読んで呉れよ。よめばよむほど、身魂みがかれるぞ、
と申しても仕事をよそにしてはならんぞ。

(ひふみ神示 第三巻 富士の巻 第13帖)

身も心も神のものざから、毎日毎日神から頂いたものと思えばよいのであるぞ、
身魂みがくと申すことは、神の入れものとして神からお預りしてゐる、神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ。

(ひふみ神示 第三巻 富士の巻 第14帖)

ミタマ磨きと申すのは、神からさづかってゐるミタマの命令に従ふて、肉体心すてて了ふて、神の申すことはそむかん様にすることぞ。
学や智を力と頼むうちはミタマは磨けんのざ。

(ひふみ神示 第八巻 磐戸の巻 第16帖)

みたまみがきとは善いと感じたこと直ちに行ふことぞ。
(ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第67帖)

よき事も現れると帳消しとなる事知らしてあろが、
人に知れぬ様によき事はするのざぞ。
この事よく深く考へて行へよ。

(ひふみ神示  第六巻 日月の巻 第16帖)

人に知れん様によいことつとめと申してあろが。
人に知れん様にする好い事神こころぞ。

(ひふみ神示 第十二巻 夜明けの巻 第7帖)

臣民には神と同じ分霊(わけみたま)さづけてあるのざから、みがけば神になるのぞ。
(ひふみ神示 第四巻 天つ巻 第12帖)

大峠の越え方 (3)



臣民(日本人)は、みがけば神になる、とのこと。



この機会を生かして、身魂磨きを進めていきたいものです。




借銭済まし


いわゆるカルマ解消のことのようです。


損もよいぞ。病気もよいぞ。怪我もよいぞ。それによってめぐり取っていただくのぞ。
めぐりなくなれば日本晴れぞ。今がその借銭済しぞ。

(ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第83帖)

めぐりあるだけ神がうらめしくなるぞ。めぐりなくなれば神が有難いのぢゃ。
(ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第13帖)

悪いこと通して善くなる仕組、よく心得よ。
(ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第7帖)

この道に入ると損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくあるなれど、それは 大難を小難にし、又めぐりが一時に出て来て、その借銭済しをさせられてゐるのぢゃ。
借りたものは返さねばならん道理ぢゃ。損もよい、病気もよいぞと申してあろうが。

(ひふみ神示 補巻 月光の巻 第44帖)

この道はじめは辛いなれど楽の道ぞ。骨折らいでも素直にさへしてその日その日の仕事しておりて下されよ。心配要らん道ぞ。
手柄立てようと思ふなよ。勝たうと思ふなよ。生きるも死ぬるも神の心のままざぞ。
どこにどんな事して居ても助ける人は助けるのざぞ。

(ひふみ神示 第六巻 日月の巻 第35帖)

大峠の越え方 (4



例えば、過去生(前世やそれ以前の生)に悪いことをして、カルマを背負ったとして、、
それ(悪いこと)をされる体験をすることで、カルマを解消できる、という学びの仕組みがあります。


そういった、一見悪い体験(損、病気、怪我など、、)をすることで、カルマをどんどん解消していけるようです。



これに関しては、一番理解が難しいと思われますが、カルマに関して、わかりやすい音声を見つけました。




こちらもオススメです。




正食


この神示も身魂により何んなにでも、とれるやうに書いておくから、取り違ひせんやうにして呉れ、
(ひふみ神示 第一巻 上つ巻 第27帖)

いよいよとなりて何でも喰べねばならぬやうになりたら虎は虎となるぞ、獣と神とが分れると申してあろがな、
獣の喰ひ物くふ時には一度神に捧げてからにせよ、神から頂けよ、さうすれば神の喰べ物となって、何たべても大じょうぶになるのぞ、

(ひふみ神示 第四巻 天つ巻 第5帖)

遠くて近きは、男女だけではないぞ、
神と人、天と地、親と子、喰べる物も、遠くて近いがよいのざぞ、

(ひふみ神示 第四巻 天つ巻 第12帖)

臣民一日に二度食べるのざぞ、
朝は日の神様に供へてから頂けよ、 夜は月の神様に捧げてから頂けよ、
それが、まことの益人ぞ。

(ひふみ神示 第六巻 日月の巻 第25帖)

食べるには噛むことぞ、噛むとはかみざぞ、
神に供へてからかむのざぞ、かめばかむほど、神となるぞ、

(ひふみ神示 第十巻 水の巻 第6帖)

もの頂く時は拍手打ちて頂けよ、神への感謝ばかりでないぞ、拍手は弥栄ざぞ、祓いざぞ、清めぞと申してあらうが、
(ひふみ神示 第十八巻 ヒカリの巻 第1帖)

日本には、五穀、海のもの、野のもの、山のもの、皆人民の食ひて生くべき物、 作らしてあるのぢゃぞ、
日本人には肉類禁物ぢゃぞ。今に食物の騒動激しくなると申してあること、忘れるなよ。
今度は共喰となるから、共喰ならんから今から心鍛へて食物大切にせよ、食物おろがむ所へ食物集るのぢゃぞ。

(ひふみ神示 第廿巻 ウメの巻 第14帖)

日本には五穀、野菜、海、川、いくらも弥栄の食物あるぞ、
人民の食物間違へるでないぞ、食過ぎるから足らんことになるのざぞ、

(ひふみ神示 第廿一巻 ソラの巻 第12帖)

欲しいもの欲しい時食べよ。
(ひふみ神示 第二十四巻 黄金の巻 第23帖)

その人その人によって、食物や食べ方が少しづつ違ふ。
身体に合わんもの食べても何もならん。かえって毒となるぞ。

(ひふみ神示 第二十八巻 夏の巻 第19帖)

腹八分、二分は先づさゝげよ。運ひらけるぞ。病治るぞ。
(ひふみ神示 補巻 月光の巻 第11帖)

四ツ足を食ってはならん、共喰となるぞ、草木から動物生まれると申してあろう。
神民の食物は五穀野菜の類であるぞ。

(五十黙示録 第二巻 碧玉之巻 第8帖)

草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのであるぞ。
出世するのざから嬉しいのざぞ、草木から動物虫けら生れると申してあろがな、

(ひふみ神示 第十三巻 アメの巻 第3帖)

大峠の越え方(5)



身魂により何にでもとれるように書いてあるそうですので、参考にして、できるところからやっていけば良いのではないか、と思います。



私の場合、少しづつ食べ物の質(エネルギー)を上げていって、そうすると、自分の波動が変わり、合う物も変わっていって、その結果、自然と五穀野菜が増えて来ました。


無理せず、少しづつやるのが良いのではないか、と思います。




まとめ


以上、日月神示について、個人的に気になった部分をまとめてみました。



これまでの内容から、以下のようなことが見えてきます。


  • 身魂磨きを促すために、大神様は私たちに「旅の苦(この世始まって二度とない苦労(「三千世界の大洗濯」「大峠」))」をさしてある

  • 逆に言うと、身魂磨きが進むと、「旅の苦」をさせる必要が無くなってくるので、大難は小難、無難になっていく



身魂磨きを進めて、大難を小難、無難にし、大峠を超え、ミロクの世を迎えたいものですね。




後半は、日月神示の理解に参考になりそうな情報について、まとめてみようと思います。




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