Little Glee Monster Live Tour 2022 Journey 大阪・オリックス劇場

2022.7.5、7.6 2日間参加

芹奈が長期休養、manakaが突発性難聴で休養に入り、
かれん、MAYU、アサヒの3人でツアーをまわった今ツアー。
演出が変更となったとのことで、それも気なり確認したいという思いと
3人体制での公演を応援したいという思いで参加。

公演のなかで展開される、リトグリのデビューから今までの軌跡をメドレーでお届けするというコーナーがあり、
それについて感じたことや考えたことがあったので、少し綴る。

そのコーナーは、芹奈とmanakaの声の入った音源に3人が合わせて歌唱するというスタイルだった。
「ああ、これが彼女たちの出した答えか。」と思った。
メドレーを3人で歌うのではなく、芹奈とmanakaの歌声の音源を交えた歌唱という選択。
制作した方それぞれがいろんな思いを持って作り上げた演出だろう。
もちろんその中心にはかれん、MAYU、アサヒの3人がいて、彼女たちの意向が大きいコーナーだと思うので彼女たちなりの思いが詰まった演出だと思うが、その思いも三者三様だろう。
あのメドレーの真意は様々であり、捉え方もファンによって様々だ。

私は、生での歌唱でなくても、芹奈とmanakaの歌声を交えて成立することに意味があるコーナーなのだと思った。
休養しているメンバーは助けてもらう存在ではなく、3人でツアーを回っているリトグリを成立させている存在という意味なのだということ。
3人がリトグリを守っているのだと思っていたが、3人は芹奈とmanakaに守られてLittle Glee Monsterを成立させていると感じた。
今まで、なぜ5人でなくても「リトグリ」なのだろうか、と思うことがあったが、この演出にその答えに近いものを感じたように思う。

Little Glee Monsterとして活動してきたこれまでの道のりで、メンバー同士が積み重ねてきた日々、関係性、言葉、歌声、苦労、喜び・・・いろんなことがあった中でお互いに関わり影響し合いながら進んできた時間が、彼女たち一人一人の存在を作り出している。
だから、極端なことを言えば、アサヒ一人でもLittle Glee Monsterを体現できるのだろうなと思う。Little Glee Monsterとして活動してこなければ得られなかったものを背負って舞台に立つとき、アサヒから生まれるのはLittle Glee Monsterを感じさせるものになるはずだろうから。
今回のメドレーは、それを形にした演出だと感じた。
たとえ休養していようとも、芹奈とmanakaの存在なくしてLittle Glee Monsterは成立しないということを、2人の音源を交えた歌唱で形にした演出だろう。(存在とは、なにも形あるものばかりではない。)
私たちはこれからもお互いに関係し合いながら影響を与え合いながらLittle Glee Monsterとして進んでいきますという所信表明。
Little Glee Monsterとして歩んできた道のりへの誇らしさを感じた演出だった。
付け加えるなら、やはり長い間会っていないと人間誰しも存在が薄れることはある。ツアー中、少しでも2人の姿と歌声に触れることは、かれん、MAYU、アサヒにとってもLittle Glee Monsterとして活動するためには必要なことなのだと思う。
だから、リトグリの、リトグリによる、リトグリのためのコーナーだ
とも感じた。

7月7日(木) 筆

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