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茶色い三角形が見えた時

5月の末に飼っていた犬が亡くなった。
それだけ聞くととても悲しい出来事のように、かわいそうなことのように思われてしまうかもしれないけれど、彼女はもう15歳で、腰は元々悪くて年々曲がってきていたし、そのせいで後ろ足はいつも引きずり気味で歩きにくそうで、でも一生懸命で、ご飯は大好き家族でいちばん食いしん坊、そしていちばんのご機嫌さんで、大往生だった。

たくさん話したし、一緒に散歩へ行き、花を見て匂いを嗅いで、すずめやカラスを見て、まだ小さい頃に鳩に近づこうとしたらバサバサと羽を羽ばたかせて逃げられてから、それ以来鳥に近づこうとはしなかったから見ているだけ、他の散歩している犬には滅多に興味を示さずに飼い主さんに撫でてもらうことがすきだった、愛でてもらうことを当たり前に思って生きていて、そしてたくさん撫でられていたからいつも毛が特に頭の毛が柔らかくて、たくさん抱っこもして、だから、後悔はしていない。そりゃあ、もうちょっと一緒にしたいこともあったし、なんにもしなくてもただ一緒にいれるだけで幸福だけど、でもものすごく自然に、彼女の死を受け入れている。


家族は、少しずつ減っていった。
最初は父親が出ていき、次に妹が一人暮らしを始めた。先にいた犬が亡くなった。家を引っ越して、母と私と犬とで暮らし、去年母も出て行ってしまった。
仕事で家を開ける時間が長くなってお留守番ばかりさせてしまってごめんねと思いながら、家にいる時はのんびりしたり、とんでもなく嫌がるのだけどシャンプーしたり爪を切ったり、爪を切ると腕が傷だらけになる。体重2キロもない小さい犬なのに蹴ったりする力はすごくて、いつも母と二人がかりで爪を切っていたのを、去年からはひとりで何とか腕に引っ掻き傷を作りながら爪切りをしていた。


お年寄りだからか、ものすごく早起きになってしまって、朝は4時台から小さい声で鳴いて起こしてくる日も多々あり、寝不足の日々が続いた。私は普段6時前に起きるから、あとほんの数時間をきちんと眠れないのが本当に参ってしまう日もあって、正直母と妹に対して、私に押し付けて、と思ってしまう日もあったけれど、これが生き物を飼うということだと理解した。誰かと生きることだと理解した。

目も悪くなって、はやく動けなくなって、家中おもらしをしてまわって、それを早朝から掃除して本当に疲れてしまっても、時々怒ってしまっても、それでも本当に本当にかわいかった。


亡くなる数日前からあんなに急いで食べていた(誰もとらないのに)ご飯もほんの少ししか食べなかったり、息苦しそうにしたり、抱き上げるのすらも負担になりそうなほどぐったりとしたり、その時に、あぁ看取るのは私なんだな、と思った。そして、ほとんど介護のようだったこの1年間もぜんぶ私の役割だったんだなと思った。

家にいれる時はいるようにして、でも構いすぎずに普通に過ごそうと思って、声だけかけたり、流動食だったら食べそうだったのでチュールをあげてみたり。あれだけしんどそうだったのに、すごい勢いでチュールを食べていたのを見た時はさすがだなと思って、可笑しくて笑った。犬は、かわいいと同時に変なこともよくしていて、犬の家からものすごくはみ出して寝ていたりとか、布団からお尻が出ていたりだとか、寝言を言っていたりだとか、あまりにもありすぎてもう思い出せないけれど、犬があまりにもおもしろいのでげらげらと笑った記憶もたくさんある。


結局、犬はお留守番している時に亡くなって、仕事終わりの私と妹が家に帰ってきたらもう息をしていなかった。その日は、朝から妹が来てくれるからねと少し前から言っていて、やっぱりしんどそうにはしていたけれど、妹に会えてうれしそうだった。

午後から私は仕事でその間妹が一緒に過ごしてくれて本当によかった。妹が来てくれるまでの間も何度も、もうだめなんじゃないかと思うような瞬間はあって、犬は妹が来てくれるのを待っていたんだと、勝手に思っている。そして、これだけ一日中一緒にいたのに、私の仕事が終わって夕飯を買って帰るその数十分の間に、というのは、犬も何か思うことがあったのかもしれない。あと数分はやく帰っていれば、と思ったりもしたけれど、思っても仕方のないことだった。とにかくこれだけは言えることは、もう犬がしんどくなくてよかった、ということだけだった。

死んだら一体どうなるのか知らないけれど、体は軽くて、きっと腰も曲がっていないだろう、他の犬みたいにはやく走れるかもしれない、息苦しいのも治って、先に亡くなった犬と会えているかもしれない、それか小さい頃に引き離された家族と。

箱の中に布団を敷いて犬を寝かせて、私たちは夕飯を食べた。犬は私と妹の間、なにか話をしていたらいつも間にやってきて話を聞いていたし、思い出せば、犬はだいたい人と人の間にいることが多かった気がする。

次の日は、午後が休みだったので区が提携している業者さんに電話をして引き取りに来ていただいた。死を受け入れていると言っても悲しくないわけじゃないし寂しくないわけじゃない、身体にもう犬がいないことは分かっていても、箱に入った犬を引き取りに来てくださった係の方に手渡す時、泣いてしまった。これで本当のお別れだと、形があると、やっぱりそこに在る気がしてしまう。電話で対応してくださった方も、引き取りに来てくださった方も本当に本当に丁寧で、親切にしてくださって、私はそれだけでも救われた。トラックが角を曲がるまで見送って、私は私の役目をひとつ終えた、よくやり切ったよと思った。本当にえらかった。


数週間経って、一人きりの生活も慣れてきた。
時々、犬の不在を思う。茶色い三角の耳が見えた気がして、でもそれは床に置いたかばんの端で、家に帰ってきた時に、玄関にかけているカーテンの隙間から小さい犬の顔が覗いていることはもう、ない。
朝も私は目覚まし時計の音で起きる。
犬はずっと一緒にいた。いない時はほとんどなかった。15年間もほとんどずっと家にいた。犬の不在に慣れ始めている。それでいい、私は生きていくしかないのだから。
去年、どうしようもなくなって泣いてばかりいた日々、犬は泣いている私のそばによってきて、また泣いてんのんかと心配そうにしていた、そういう時いつも犬は姉みたいだった。時々ねえさんと呼ぶこともあった。かと思うと、子犬みたいにはしゃぐこともあって、姉でもあり妹でもあった。

幸いにも、家でひとりぼんやりとする時間はあんまりなくて、働いたり、出かけたり、ほとんど立ち止まることなく日々が進んでいっている。新しく働き始めたことが大きいと思う。そのことで本当にいろんな物事が変わり、進んだ。停滞していた私のいろいろも一気に進み出したように思う。

朝だけ働いて、犬のお世話だけをしていた日々、犬が死んだら私ってもう生きている意味ないんじゃないかなと思っていた。逆に犬が死ぬまでは生きようと思っていた。
でも、仕事を増やして、その仕事がたのしくて、お給料ももらえて、私のことをいつも肯定して応援してくれる恋人ができて、私はちゃんと大丈夫になって、死んだりせずにちゃっかり生きている、あしたもたぶん生きている。来月もたぶん生きている。年末にたのしいことがあるのでそれまでもたぶん生きている。


犬は本当にかわいかった。撫でるたびにぴーんと戻ってくる茶色い三角の耳、小さい肉球、体のわりに太いしっぽ(そして力強い)。
私たちにたくさん愛をくれて、元気にしてくれてありがとうと心から思う。
またどこかで会おうね。

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