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横目で見とめたきみの欠伸

クーポラ、という言葉の意味をぼんやりとしか知らないけれど、どうしてか好きで、その響きがいいのかも。まるくドーム型になった天井は、日本ではあまり見かけない建築だから、たまに見かけると感動する。
いつかイタリアでこれぞクーポラな建造物を見てみたい。


夏だから、冷たい食べ物の写真をよく見かける。かき氷、こおり。
私はお腹が弱いので、かき氷はもう何年も食べていない。うそ、一昨年盆踊りで食べた。
でもここ数年の流行りの大きなそしてリッチなかき氷はまだ一度も食べたことがない。見ているだけでお腹を壊さないかドキドキする。

氷結を、びしゃびしゃとこぼしたいと思った夏から4年くらいが経ったのかもしれない。
相変わらず夏になれば氷結をびしゃびしゃこぼしながら外でお酒を飲んでギャアギャアと言いたい。もうそんな歳ではないのかもしれないけれど。
夏はどの季節よりも元気で、そして感情的でいたいと思う。


突然、この混沌が消えてなにもなかったかのように以前の生活が明日戻ってきても、人々は以前のように握手をしたり肩を組んだりハグをしたりしないんだろう、と思った瞬間泣き出しそうになった。
なんてことしてくれたんだ、と心の底から思う。
世界がこういう風になってから、小学生の頃のいじめをよく思い出す。私たちはもっといろんなものを素手で触れて大切にすべきだし、素手で触れて危ないものはもう作り出すべきでないと思う。
そんなことを考えていると、時々、空っぽの声で笑ってしまう。


でたらめな名前で仕事をしたり生活をしたりしてみたいな。私はその都度、少しずつ違う人間になって、悩んだり幸せだったりしながら生きていきたい。名前はとても大切で大事だけれど、同時になんだっていい、とも思う、それはあくまで呼ぶために必要なだけだから、と。
そんなことを言うと、名前を一生懸命考えた人やいろんな理由があって新たに名前を取得した人に怒られてしまうかな。


やっぱり私は氷結をばかみたいにこぼしながら、はははと笑って泣いていたいのかもしれない。


ドーナツとアイスクリームの恩恵を受けた誕生月が2021年の地層に沈んでいく。




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