見出し画像

春の樹海、毛布にくるまった胞子、足首の傷

冬のおわりにみかんのジャムを作る。
まだいけるだろうと置いていたみかんが、皮にかびが生えていて急いで作る。グラニュー糖は家にないので、きび糖。最近、我が家はしばらくきび糖。砂糖は体にわるいと言うけれど、砂糖はほんとうに体にわるいんだろうかと思う。思考がにぶくなるとか頭がいたいとか、砂糖の摂りすぎですよ、と言われると、摂りすぎていた場合は反省するけれど、なかなか料理にもお菓子にも砂糖を使ってしまう文化の中にいる。だって、甘いとおいしいもんね。


春は雨が多い。花粉があまり飛ばなくてよろしいのかもしれない。止んだあとが怖いけれど。
春になると死にたくなると言っていた君は、今でもそう思うだろうか。私も君も歳をとりましたが、いい意味でもう繊細すぎないようになれていたらいいなと思う。お店の軒先でちょっと雨宿りしながら、降る雨を眺めて、春の雨はただみんな家でじっと過ごすだけで、春は、きっと晴れている日の方が死にたくなるんだろうな、と漠然と思った。よく晴れた日に死のうと思うことを少しは理解できるような気がした。


川か、どこか水辺から引き上げられた自転車を廃車として引き取った。枯れた水草が車輪や車体に絡まっていて、タイヤはすっかりパンクしている。車体に引っ掛けられたまま、解錠されずに一緒に捨てられたピンクのワイヤー錠。一体なにがあったの、きっと寒くて冷たい場所にしばらく放置されていたんだなと思うと悲しい気持ちになって、枯れ草をとって、お疲れ様と声をかけてから廃車置き場に持って行った。
街で暮らすと、街で働くと、社会の仕組み、会社の理念、大切にされないものたち、本当に本当にたくさんのものが、ひとも含めて、使い捨てばかりで悲しくて仕方がなくなることがある。
会社に勤めるというのは、社会で暮らすのいうのはそれらに抗えないし、そんなこと言ってられないよ、とかこの人面倒くさいなぁとか、私は気が弱いままでいる。
私にしかできない誰かの役に立つ仕事、が見つかればいいけれどそんななんでもうまくはいかない。
葛藤しながら、ちょっとだけ抗いながら、そして祈りながら、いまの子どもたちが働き始めるころ、ほんの少しでも、ひとやものを大切にする文化や社会が進んでいて欲しい、身の丈に合ったもの、を持ってそれを大事に使うことの楽しさ、尊さを知っている大人になって欲しいと思う。生活は尊い。さよたんていの言うとおり、つまらない生活はすてろ!にハッとさせられる毎日です。

まぁそんな悲しいことばっかりでもなくて、今日は雨でお客さんもほとんどなく、自転車のことをたくさん教えてもらってとてもたのしかった。普段は忙しくて、また聞こうと思って聞きそびれてたこととか、変速の使い方とか、子乗せ椅子を取り付けられる自転車の種類の話とか。変速の使い方に混乱しつつも、これを買う人がこの機能をたっぷり楽しみながら長く乗ってくれたらいいなと思った。叔母は、私よりも年上のシュヴィンの自転車に乗っていたし、大切に手入れして使えば何十年も使えるこの素晴らしい乗り物に感動する。私の写真の大先輩の三木さんもスーパーカブを大切に大切に乗ってらっしゃって、そういう人が周りにいることがうれしい。私もフジをいつまでもいつまでも乗りたいと思う。
自転車屋さんの店員がお客さんにこんな話をし始めたら引かれそうだけど、できるだけ長く大切に乗ってあげてね、と思いながら自転車を手渡している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?