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砂糖入りの紅茶、たき火と白

伊達眼鏡をかけて出かける。
度が入っているめがねのことは知らないけれど、瞳に入るまでの光の屈折はカメラのレンズと少し似ている気がした。カメラで撮った写真とはちがう、もっと細かく分散する光。
これが写真にも写ればいいのに、と思う。思ったあとで、写らなくていいのかもしれない、とも思う。

クリスマスの朝の記録

クリスマスの朝
世界を包んだ濃い霧が染み込んだアスファルトは
人々が踏むごとに乾いて日常へ戻っていく

旧グッゲンハイム邸はとにかく良い光が入る場所だった。暖炉の痕跡、廊下、大きな窓、暖かい庭。心ゆくまでそこで丸まって昼寝をしたかった。

足踏みオルガンの演奏を聴く。

あの日の記憶がだんだんと薄れてきてしまっているのがかなしい。いつまでもいつまでも鮮明なままで覚えていたい時間だったけれど、でもあの日思ったことは、日差しがあたたかい、この音をいつまでも聞いていられたらいいのに、というような曖昧なものだったような気もする。

2020年がおわってしまう。年を越しても、今日のつづきの明日があるだけなのはわかっていながらも、やっぱりおめでたい気がする。祝うという行為があって良かった。祝いは良い。

私が今日も君に会えてうれしいことを祝おう。週に何度だって乾杯をしよう。食べ物を飲み物をわけあって、寒くても暑くても死にたくってもこの瞬間だけは誰もが世界の脅威から守られると信じて、お気に入りのグラスをかかげて乾杯しよう。

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