乱文の回

乱れた心からは、乱雑な思考と乱暴な表現しか出てこない。それでも今日はそのまま書いていきたい。

私は一人の時間がないとだめだ。
定期的にそう自覚するメンタルがやってくる。まさに今だ。
家の中に他人がいるのが嫌。他人が作用するのが嫌。他人が手を付けるところからは距離をとる。そうすると、祖父が多分手伝うつもりで介入してくる。最悪だ。そういう、他人とのやり取りを一切したくないのだ、今は。

許容できる時もある。でも、できないときが必ず定期的に(1か月に1回は)来る。だから、この先はもう、人と暮らすことなんかしたくない。
誰かがいる安心感はわかる。でも。人といたくない気持ちから、人を大事にできなくなるのはダブルで嫌なことしかない。

だから結婚もしない。こどもも生まない。
子供産んで、子育てして、それがひと段落ついたころには親の介護をする歳になっていて、それがひと段落ついたら今度は介護されなきゃ何もできないような歳になっているサイクルが見える世の中で、わざわざそのサイクルに乗る必要があるのか。やってみればやったなりに、その中で感じられる幸せというものはあると思う。でも、それは私が経験したいイベントでもない。

私の母は、ワンオペ育児で私たち姉妹を育てた。そして、私たちが社会人になったころ、祖母(母の母)が病気になり、通いでの介護。祖母が亡くなった今、今度は祖父だったが、それは勝手に私が引き受けた(現在の祖父は介護というほどではなく、免許返納などで一人暮らしが難しい程度)。
でも、私は人間の有機的な営み(食べて排泄して性交して寝る)には、常にうっすら嫌悪感があるので、祖父が風呂・トイレを自力でできなくなったら容赦なく施設を頼るつもりでいる。訪問介護とかじゃなく、施設で暮らしてもらうと思う。まあ、私は相手の感情に寄りすぎて無理を受け入れてしまうこともなくはないので、”施設を嫌がる祖父の気持ち”をあほみたいに考えすぎるとどうなるかは自信がない。
でも、今でさえ「うわ。。。」と思いながら生活している現状を考えると、到底できることではないなと思う。短期ならまだしも、終わりが見えないならなおさら。

特に何もないのに心がざわざわするのは排卵日だからなのか。以前は、生理中も、生理前も、まったく何の症状もなかったのに、社会人になったら生理中は少しおなか痛くなるようになって、最近は月経前症候群みたいなのも少し出てきて、マジでだるい。
私は、体感女ではないし、子供も産まないから子宮とか機能しなくていい。
取ることで、ホルモンバランスが崩れて更年期みたいになりたくもないから、摘出のリスクはとらないつもりだけど、正直いらない。全然いらない。
男性みたいに外についてるものじゃなくてよかったとは心底思っている。


このざわつきに乗じて別のもやもやも吐き出しておく。
バンド活動のこと。ここに来る前、社会人のバンドサークルでいろんなコピー曲をやった。ライブもたくさんした。その時に、ライブの時に、歌詞やコード進行などをみながらやる人が一定数いた。見なきゃできないなんて、それくらいしか曲が入っていないということだと思った。別に、サークルだし、趣味だし、いろんなスタンスでかかわる人がいるから、人それぞれ。それでいい。でも、個人的に感じるのは、演奏をするという行為に含まれるエネルギー量の内訳を見た時に、歌詞やコード進行を見る人は、自分が次何をすべきか、を確認する作業にエネルギーを使ってしまっているということで、自分の音、メンバーの音を感じて、どう届けていくか、ということに使えるエネルギーを無駄にしてしまっているのではないか、ということ。
自分の体に入って入れば、次何をすればいいか、なんて考える必要もなく勝手に体は動くもの。
そして、見ながらやる人と合わせる時と、見ないでやる人と合わせる時では、全然バンド感が変わる。見ながらやる人に音を飛ばしても、気づいてもらえない、返ってこない。見ないでやる人に音を飛ばすと、キャッチして返してくれる。キャッチボールができて楽しい。そういうやり取りができる人とのバンドが楽しくてずっとやってきた。
だから、こなすだけのバンドでは私もカンペを見るようになった。ただの作業。そうやって私はさぼっていく。自分が失望したことを自分でやってさぼる方法を覚えていくんだろう。
返ってこないところに100%でぶつかり続けられるほど、健気には生きられないし、エネルギーも余っていないのでそれでいいとは思っている。けど、それを癖にしてはいけないなと思った。

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