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第1話 夢を育てるもの

ふかふかに耕した土は温かく、ほっこりとしていて、なにを植えても、どんな種をまいてもスクスク育つ。
根を深く張り、幹を太く伸ばし、枝葉をこれでもかというくらいに広げる。
そしてうっとりするほどきれいな花を咲かせて、目を楽しませてくれたあと、果汁たっぷりの甘くかぐわしい実をたわわに実らせて、舌をも満足させてくれる。

ミゲルはそれを母親から教えられた。彼の母親は植物を育てるのがとても上手で、ミゲルが生まれたときに植えた記念の桃の木は、密のようなジュースがたっぷりとれる実が、毎年、甘い香りを漂わせる。

今日はミゲルも初めて自分の木を育ててみようと、見よう見まねでふかふかに耕した土に種をまいた。
「最初が肝心なんだ」とミゲルはつぶやいて、土をかぶせたばかりの、少し盛り上がったところを撫でた。
母親の教えの通り、透き通った湧き水を汲んでこなければ。

ミゲルは庭の前の道をしばらく行った先にある、噴水に向かって歩き出した。その噴水の水が湧き水なのは、村の誰もが知っている。
口笛を吹きたくなるような爽やかな日差しいっぱいのなか、一本道を歩いて噴水のそばまでたどり着いた。

そのとき、ふと誰かに話しかけられた氣がして、あたりを見まわしたけれど、ミゲルのほかには誰もいない。
噴水の水面は、ときおり吹く風に小さな波が立って、キラキラと輝いていた。植えたばかりの種に祝福が宿るようで、ミゲルは嬉しかった。

ミゲルはバケツいっぱいに水を汲むと、噴水の縁に座って目を閉じた。そして、さっきまいたばかりの種がスクスクと育って、大きく広げた枝に、果汁たっぷりの実が、たくさんなっているところを想像してワクワクとした。
思わず「早くこんなふうに育ってくれたらなあ!」と声をあげてしまった。

すると「ねえねえ」と近くで呼ぶ声がする。
誰?と驚いて目をあけると、そこは目を閉じる前と同じく、やっぱり誰もいない。
「ここだよ!」と、声は水の方から聞こえてきた。そこで水のなかをのぞいてみると、ミゲルが腰掛けているすぐ脇に、魚が一匹、金色のウロコをキラキラさせてこちらを見ている。
「魚さん、なにか用?」とミゲルが尋ねると、「鍵をあけるんだよ!そうしたら思ったとおりに木は育つさ」と魚は言った。
「鍵だって?どこにあるの?それにどうやってあけるの?」ミゲルが聞くと魚は「鍵をあけたい?君にはもう、その準備ができているから、望めばあけることができるよ!」と、嬉しそうに飛び跳ねた。

「それじゃあ、ちょっと目を閉じて深呼吸をしてみてよ。ゆっくり3回やるんだよ。それから目をあけてね」と魚が言ったとおりに、ミゲルは噴水の縁に腰かけたまま目を閉じ、ゆっくりと3回、深呼吸をした。それからゆっくりそおーっと目を開いた。

「えっ?」
見えているものが、さっきとはあまりに違うので、びっくりして声をあげて、まじまじとあたりを見ると、そこは空を飛んでいる飛行機のなかだった。乗客はまばらでおとなも子どももいた。寝ている人、本を真剣に読んでいる人、目を閉じたまま呪文でも唱えているかのように、口のなかでブツブツ言っている人もいた。

「いったいこの飛行機はどこに向かっているんだろう?今、飛んでいるのはどのあたり?」
そう思いながら窓の外を見ると、巨大なサイコロの横を通りすぎるところだった。サイコロは手前に角が張り出していて、一番上が「1」で、左右の側面が「3」と「5」だった。どうやらこれは普通のサイコロではなさそうだ。

目を閉じて深呼吸をしただけなのに飛行機に乗ってしまったなんて、なにが起きたんだろう?ちゃんと家には帰れるのかしらん?あの魚は鍵をあけたら思うように木は育つと言ったけれど、ここには鍵もないし、まだ種に水もあげていなかった。ミゲルは急に心細くなった。

「大丈夫だよ!」
そのとき、さっきの魚より、小さいけれど甲高くはっきり聞こえる声がしたので、そちらを見ると、ミゲルの目の前にミツバチがいた。普通のミツバチの3倍はありそうな大きなハチ。「刺さないで…」と心のなかで祈ると、ミツバチはキャッキャと笑って「君を刺したりなんかしないよ」と、ミゲルの周りをブンブンと一周まわった。

「さっきのサイコロを見た?」と、元の場所に戻ったミツバチに聞かれてうなずくと、「じゃあ大丈夫。鍵を見つけたね!」と、さも嬉しそうにミツバチは言った。
「あのサイコロが鍵なの?」とミゲルはよくわからず尋ねると、ミツバチは
言った。
「そうさ!いいかい、1の目はいつも望みの方に意識を向けて!って言ってるんだよ。ときには嵐がきて、せっかく育った木の枝が折れてしまうこともあるかもしれない。そんなときでも、この木はあんなふうに大きく茂って、美味しい実をたくさんつけるのさって、噴水のところで想像したことを、必ず思い出すんだよ。喜びは自分で創れるんだ。それはいつもなにを見ているかにかかっている。それを忘れないで。これがひとつめの鍵」
ミゲルは自分の空想が、ただの空想ではないのだとわかり、嬉しくなった。
この空想が噴水の湧き水や太陽の光のように、ミゲルの種を芽吹かせ育てるのだ。

「じゃあ、3はどういう鍵?」とミゲルは顔を輝かせてミツバチに尋ねた。
「まあ、そう慌てないで。ちゃんと全部の鍵を渡すから。なにしろそれがボクの役目だからね」と、ミツバチは嬉しそうにウィンクした。ミツバチのウィンクを見るのは初めてだったし、あとにも先にもこれが最後かもしれない。ミツバチは自分の役目がとっても氣に入っているんだな、とミゲルも嬉しくなった。

「さてと、お次は3だったね!」
そう言ってミツバチは、いたずらっぽい笑顔をミゲルに向けた。
「3のメッセージは、いつでもサポートがあるってこと。たとえばこのボクみたいな」
ミツバチはそう言うと、またしても嬉しそうにウィンクをした。
「ちょっと得意げな顔だな」とミゲルは思った。そして「大事なときに君みたいに助けてくれたら、なんでもできそうだよ!」と朗らかに返した。

「そして5は」と、ミツバチは少しもったいぶるように間を置いてから、
「変化があるよ!っていうことさ。それも大きなね!だから君の木は、大きく茂って美味しい実をたっくさんつけるのさ!」
そう言うと、窓の外を指さして「ほら、見てごらん!」と叫んだ。
ミゲルはすぐさま窓におでこをくっつけて外をのぞいてみた。
いつの間にか飛行機は低空飛行になっていて、見覚えのある景色が、目の下に広がっていた。ちょうどミゲルの家の上空を飛んでいるのだった。
「噴水のところに行ってから、それほど時間が経っていない氣がするのに、なんだか懐かしい感じがするな」と思いながら見ていると、見覚えのある景色に見覚えのないものがあることに氣づいた。
「あれ?」と目をこらして見ると、裏庭にないはずの大きな木が立っているではないか。もう一度「あれ?」と口から飛び出したと同時に、その木をまじまじと見ると、その場所は今朝ミゲルが種を植えたところに違いなかった。

「まさかと思うけど」とミゲルは言って深呼吸した。「あの木はもしかして、今朝植えた種が大きくなったの?」ミツバチはミゲルの目の前に来て、まっすぐミゲルを見つめると、「不思議に思うかもしれないけれど、そうなんだ!」と真面目な表情で言った。
「君の世界には時間が存在するよね。でも本当は時間なんてないのさ!だからこれを見せてあげるのは、ちょちょいっとできることなんだよ。実を言うと、芽が出ないという場面も、せっかく出た芽を枯らしてしまった場面も、見せようと思えば見せられる。でも君は今朝、あの噴水の脇で、今見ている場面を思い描いたはずさ。そしてワクワクしたでしょう?だから今、木が大きくなったところに遭遇しているんだ。大切なことは、その願いをどんなことがあっても持ち続けること。1番の鍵のメッセージを忘れちゃダメだよ。そしていつでも自分自身で在り続けること。誰かに合わせて自分の氣持ちを曲げたり、やりたいことを変更したり、そんなことをしてはダメだよ。そしてもし、悲しいことや辛いことがあったときには、自分で自分に寄り添うんだ。悲しいね、辛いねって、一緒に感じてあげるんだよ。本当はそれだけで、誰でもまた元気になれるのさ」

ミツバチの声を聞きながら、再び窓の外に目をやると、景色はすっかり変わっていた。飛行機はまたもや上空の雲の上を飛んでいた。そしてその雲に刺さるように、巨大な、今度は時計の文字盤がこちら向きに立っているのが見えた。よくよく見ると、時計の針はぐるぐると回ったと思うと、今度はゆっくりと逆回転になり、それからしばらく止まった。そして今度は普通に時を刻み始めた。
「あの時計は壊れちゃってるみたいだね」
「そうではないよ。本当は時間なんてないからね!でも君の世界は、まだ時間があるってだけだよ。そして実はあの時計のようなことになっていたりもするのさ。それに氣がついていないだけでね」
ミツバチの声を聞きながら、今度は反対回りにゆっくり回り出した時計を見ていたら、急にミゲルを眠氣が襲ってきた。

                  ☆

氣づいたとき、ミゲルは例の噴水の縁に腰かけていた。どうやら居眠りをしてしまったようだ。あの魚もミツバチも夢だったのかな?夢だったような氣もするし、本当にいたような感じもする。
そんなことを考えながらミゲルは立ち上がって、両腕をいっぱいに上げて伸びをした。
太陽の位置からすると、それほど長い時間、居眠りしていたわけではなかったようだ。むしろ、ほとんど時間は経っていないように思えた。

ミゲルは水の入ったバケツを持って、家に向かって歩き出した。さっき夢で見た大きく繁った木の姿が心に浮かんだ。
「あの木みたいに育てるぞ!」そうつぶやいてみたら、心のなかは嬉しさと喜びでいっぱいになった。
「ああ、本当にワクワクする!」と思わずつぶやいたとき、あのミツバチの声が聞こえた。

「ワクワクが夢を育てるからね!」

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