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事実と判断と感情を分けていく

基本的に、この世界って

見ている人の「認知」次第。

幸せで素敵な世界!

不幸で大変な世界!

も、本当に認知次第。
  
  
しかもその「認知」ってヤツは

「観察」した出来事を

→「その人の独自の判断」をして

→「感情・体感」が湧き上がってくる

がセットになってできている。
   
 
例えば

雨が降る日
 
  
「雨」が降っている

という出来事を「観察」して

→「今日は仕事に行くのに濡れるから嫌だ」→「不快感」
 
→不快感は感じたくない、嫌な感じー

ってなる。 
 
だから、雨は憂鬱だよね・・・という認知になる。
 
 
ね、雨って嫌な気分になるよねぇ・・・
 
 
<< ちょっと、まって!? >>
 
 
雨=嫌=憂鬱 なのか?
 
 
例えば

私なんか種まきシーズンで畑の水やりをするとしよう

同じく「雨」が降っている

と、いう出来事を「観察」をすると

→「今日は水まきしなくて楽でいいや、畑も潤って嬉しい!」

→「家でゆっくりできるし作業が減って楽だわー」→「快適!!」

ということで

雨=快適=嬉しい
 
 
でしょ?雨降ったら自然な水量で畑も潤っていいやん?

雨って嬉しい気分になるよねぇ・・・
 
 
この二つの例は、話し合っても永遠に平行線。

だって「雨」は同じでも「判断→感情」が違うもん。
 
 
いろんな心理学でもこの手のことは言われている

私自身もたくさんの人の相談を聞いてきて

ここのプログラムみたいなものがエラーを起こしているって

ほぼ確信をしている。
 
 
「観察」したものの
「事実」と「判断」と「感情」がごっちゃ

それが癒着したまま「それが事実」だと「認知」している。

この話、書き出すと長いので・・

続く・・

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