「OKじゃなくてもいい」=All OKの始まり

All OKの話しをしていると
どうしてもOKできない
という話が繰り返されている場面にであったりします

All OKなのに OKできない
ではなくて
All OKだから OKできないこともOK

私にとってOKでも
相手にとってOKじゃない

私にとってOKじゃなくても
相手にとってOK

これって十分ありえること

そのどちらもOK

例えば、相手がいいと思ってしてくれたことでも
私にとってはうれしくないことだった

そんなことは時々あるかもしれない

例を作ってみると

>彼氏が気を利かせて映画のチケットを取っておいてくれた
>でも、私の見たくない映画で席も最悪だった

これにOKしていくとどうなるか?

>彼氏が気を利かせて映画のチケットを取っておいてくれた←OK
>でも、私の見たくない映画で席も最悪だったと思っても←OK

それを伝えてもOKだし
言わないのもOK
気を利かせたつもりで全然わかってくれないと思ってもOKだし
自分のためにがんばっちゃってくれた彼氏をかわいいと思ってもOK

せっかくチケットを取ってくれたから我慢して観るか・・
とか、やっているとこの手の不満が蓄積していたりする

その蓄積から不和が生まれて
些細なことでも喧嘩したり分かり合えないとか言い始めたりする

実は「わかっていないのは自分が我慢してしまっていること」だったりする

All OKは、その我慢にまずは気づいて自分で認めてあげてほしいんだ

難しい言葉でいうと自己受容とか自己愛とか自己承認とか
自分を自分で受け入れ認めること

自分の全部がOKという土台が築かれてやっと

自由な選択が始まるんだと私は感じている

All OKは慣れていくのに順番があるかなと思っていて

まずは、自分の内側にOKし続ける
(出来れば同時に、なんだけれど)
そして相手にもOKし続ける

1、私もOK
2、あなたもOK

1が満たされてくると2が自然とできるようになってくる
2だけすると1が圧迫されていく

だから、まずは自分から

自分のOKできない ということに目を向けていく
そこには案外自分の思い込みや大切にしたいことが
いーっぱいあったりするんだ

そんな自分を大切にしてくれたら私は嬉しいな・・

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