「ヒーラーに向いてる人」みたいな記事を読んで、モヤっとした話。

【追記:12月27日】
この記事は、約1カ月前に書いてた文章。
公開前に編集しようと思ってたんだけど…、「今の私が伝えたいこと」とも少し違っていて、時間をかけて編集する必要がないように感じたので…、今回は編集しないまま公開します。

読みにくい部分や、何を伝えたいのかわかりにくい部分もあるかと思いますが…、基本的には、自分の内側を整理するために書いてたモノなので、そのままになってます。

※※※


『ヒーリングした後に、チョコを食べたくなることが多いな~』と思って、『同じ人いるかな?』と検索してみた。
…ヒーリングした後にチョコを食べたくなる人は見つけられなかったけど、その代わり、「ヒーラーに向いてる人」みたいな記事を見つけて、読み始めた。


「ヒーリング能力は、生まれた時にはそうなることが決まってる特殊能力」みたいなことが書いてあって、『うん、うん』と思って読んでた。

…なんというか、最近は、いろんなヒーリングがあって、お金を払って学んだり、アチューメントしてもらえば、誰でも簡単にヒーラーさんになれるみたいなのもある。

私は、「そんなことをしても、ヒーリングなんてできない!」と言うつもりも、そういうことをしてる人たちが間違ってるとも言えない。
実際に、私もそういうヒーリングをしてる人に、ヒーリングしてもらったことがある。
ちゃんとエネルギーが流れていたし、それが間違ってるなんてことはない。

それに、そういうものがきっかけの1つになって、めちゃくちゃすごいヒーリング能力が開花していく運命をもつ人もいるかもしれないし…、「悪いもの」なんて言いきることはできない。


なんだけどね、
私はずっと、そういうヒーラーさんを認めることができなかったし、『一緒にされたくない』と思ってた。
…というか、今でも一緒にされてしまうのが嫌だと感じてしまう瞬間がある。

エネルギーの違いとか、ヒーリングについてとか…、いろいろ考えたりしたんだけどね。
いろいろ考えてて、思ったの。

私はたぶん、『ヒーラーになりたい』『ヒーリングをしたい』と思ってる人を苦手に感じてしまうことがある。
特に、『自分の不足を満たすため』にヒーリングをしようとしてる人や、ヒーリングやスピリチュアルに逃げて、自分の人生を生きてないのに、それに気づかず偉ぶってる人が苦手なんだと思う。

『一緒にされたくない』と思ってしまう。
そこには、わたし自身がいつのまにかヒーリングしていて、「ヒーラー」と呼ばれたりもして…、その中でたくさんの悩んで葛藤しながら生きてきたからかもしれない。



ヒーリングって、そんなに特別な物じゃなくて。もっと普通のモノなんじゃないかなって思うの。

先に言っておくと、わたしは「ヒーリングは、特別なもの」として扱うのにも違和感を感じてる。

確かに、ヒーリングをお仕事としてる人は、一部かもしれない。
さらに、「その中でエネルギーの純度が高いヒーラーさん」は、ほんの一握りしかいないような気もしてる。

なんだけどさ、人はお互いに影響しあって生きていて…、「ヒーリング」という形でなくても、無意識に人を癒してる人はたくさんいて、実はそういう人のヒーリングが、めちゃくちゃパワフルだったりもするんだよなって。
そんな風に感じてるの。

ただ、そこにヒーリングのエネルギーが流れていることや、その人がすごいヒーラーさんだということに、周囲の人が気づいてないだけなんじゃないかなって。

さらに言えば、ヒーリングは特殊能力ではなくて…。
それぞれの形があるから、もっと広く見れば、特殊能力というよりも…、『自分がヒーリング能力を発揮できるポイントに気づくか、気づかないか』みたいなことのような気がする。

ただ気づいてなかったり、『自分にはできない』と思ってる人が多いだけで…、頭で求めてる形と違ってるだけで…、「ヒーリング能力なんて、誰もが持ってる普通のモノなんじゃないかな」って思う。
ただ、それを活かせていない人・気づいていない人が多いってだけじゃないかなって。

それがわたしの見解の一つ。


…だけど、ヒーリングを特別なものとして扱いたい人もたくさんいて。
「ヒーリング」という形・思考で理解できるものを求めている人もたくさんいる。

だからなんか、そういう話をしても理解してもらえないこともあって…、『う~ん』ってなったりする。


『ヒーリングしたい』『ヒーラーになりたい』と思わなくても、いつのまにか…そういう人生になってた。

でもね、「生まれた時から決まってる」「自分が望むかに関わらず、自然にそういう人生に…」みたいなのに関しては、『うんうん』って思った。
それはきっと、私がそんな感じだったからだと思う。

セラピストになった頃の私は、ヒーリングなんて知らなかったし、スピリチュアルなものにも興味がなくて、現実的だった…と思う。
なんなら、スピリチュアルな人たちや、そういうものを信じてる人たちに抵抗感や気持ち悪さのようなものを感じてたんじゃないかなって思う。

私はただ、他の誰かよりも少しだけ洞察力があって、人を見る目があると思ってた。それだけ。
ちゃんと勉強しながら、考えて…、普通にマッサージしてるつもりだった。

…だけど、当時から私はヒーリングをしてたらしい。
数年後にお客様たちに言われるようになって初めて、そのことを知った。
正直、私は必死にマッサージしてたのに、お客様がマッサージ中のヒーリングエネルギーを求めていたのは、衝撃的だった。
あるセラピストさんに、「これはマッサージじゃない!ヒーリングだよ!!」と言われた時、すごくショックだったし、認めたくなかった。


わたしの場合は、自分の心や体が限界だった時に初めて、神社でヒーリングを体感したんだと思う。
その時の感覚がすごくて、見えない何かの存在を信じざる得ない状況になった。

たぶん、あの日、あの時の私は、心も体もボロボロで限界で。
そんな時に救いの手を差し伸べてくれたのが、神社とご神木の木だった。
スピリチュアルなものも、見えない存在もエネルギーも、自分にやってくる流れも…、これ以上否定して逃げることができないのを感じた。
…いや、理由はわからないけど、ただ、受け入れることができる瞬間が来たんだと思う。

そこからは、お客様がいろんなことを伝えに来たり、『あの神社が連れてきたんだな』と思うようなご縁がいくつもあって…、いろんなことに気づいていった。
いくつかのヒーリングを知った時、自分が無意識にやってたヒーリングを言葉にされて、『なるほどな』ってなった。
無意識のうちに自分がヒーリングしていたことを、無意識のうちにチャネリングしていたことを…、少しづつ受け入れていった。

マッサージしてる時に、なんとなくビジョンを見て、その通りに感覚的にやってたり、過去世かなにかでやってたのを思い出したり…、いろんなことがあって、知らないはずのマッサージやヒーリングもしてた。
もっと言えば、「話すこと」自体がヒーリングなことだって、私はずっと気づいてなくて。「話すこと」を悪いことだと思いこんで拒絶してた。


世の中にはたくさんのヒーラーさんがいて、「ヒーリング」という名の商品を売っていて。
『私もそんな風に、誰かの怪我を治したり、お金を稼ぐことができれば…』と思ったこともある。
だけど何かが違っていて、わたしにはできなかった。
形のない、感覚的にできるヒーリングしなかった。

私は『ヒーラーになりたい』『ヒーリングをしたい』と思ってその道に進んだわけじゃなくて。
ただ、いつの間にかヒーリングをしていて、それがヒーラーなのだと知って…、ヒーリングをすることも、ヒーラーになることも拒絶してて…、自分の感覚と、それを拒絶して『普通でいたい』『現実的でいたい』と思う思考との間で葛藤してた。

…そして、少しづつ受け入れていった。
自分のやってることが「感覚的なマッサージ・ボディワーク」ではなく、「ヒーリング・エネルギーワーク」になってることをちゃんと受け入れていこうと思い直したのも、まだ1年前のこと。


…なんかグルグルといろんなことを書いちゃったけど…、
ただ単純に、私は『ヒーラーになりたい』と思わなくても、いつのまにか「あなたはヒーラーだ」「これはヒーリングだ」って言われるようになってた。

だからなんか、そういうもんだな~って感覚がある。

そして、私が『この人はすごい』と思った人たちはみんな、自ら『ヒーリングをしたい』『ヒーラーになりたい』と思った人たちがいなくて。
なんなら、
彼女たちは、自分がヒーリングしてることに気づかず、もっと現実的にお仕事をしてる人ばかりだったりする。
(職業がら、私が知ってる「すごいヒーラーさん」たちは、マッサージをしてる人が多め。)

…だからなんか、『ヒーリングしたい』『ヒーラーさんになりたい』ということを目指してる人たちに苦手意識を感じてる自分もいるのかもしれないなって。そんなことも思った。

「もともと素質があったり、それをする流れにあった人」は、まっすぐに自分のエネルギーが乗っていて、その瞬間瞬間のエネルギーが詰まってる気がする。

後は、
「もともとそういう素質があったり、それをする流れにあった人」と、「『ヒーラーになりたい』と思って誰かに教わったヒーリングをなぞったり、形にこだわってる人」のエネルギーは、ぜんぜん違うように感じてる。

自分の中に重たいものを抱えて、『ヒーラーになりたい』と、自分の足りないものを満たすためにヒーリングしてる人のエネルギーは重たくて。
誰かに愛されるために、誰かを直したり助けたりすることで自分を満たされてる人のエネルギーも、私はちょっと苦手だったりする。


だけど、純粋な思いをもってヒーリングができてる人の発するエネルギーは、すごくキラキラしていて、好き。
正直、自分がうまくヒーリングできなかった時期、自分らしさを表現できなかった時期、苦しかった時期には、そういう人たちに嫉妬してしまったこともある。

そういう純粋なエネルギーを発し続けることって、すごく難しいんだなって。実感してる。


自分の過去を振り返ってみても、そう。
純粋なエネルギーを発していた時期もあれば、そうではない時期があったのも感じてる。
…お客様たちがどんなに褒めてくれても、認めてくれても、「(体や心が)楽になった」と言ってくれても、人の人生が変わってくのを見てても…、私は、自分の発するエネルギーに不純な思いが混じりすぎてる時、何かをぐっと飲みこむような気持ちになる。…悔しい。
自分が自分らしくいられないことで、自分のエネルギーや思いの純度が落ちてしまうことで、お客様のプラスになれなくなったのを感じた時…、セラピストとして活動するのをやめた。
私が自分の気持ちを抑えてしまうことで、お客様の足を引っ張ったり、お客様の癒し・成長を妨げてしまうような気がした時、わたしはセラピストを辞める。
お客様にまっすぐ向き合えなくなってる自分に気づいた時、心の中に『これくらいでいいか』って妥協する気持ちが生まれた時、何かが終わった気がして。セラピストでい続けることができなくなってしまう。
…そんなことが、何回もあった。

だから、わたしのヒーリングの形はどんどん変わっていく。
今もそう。
今までやっていたヒーリングの形ではなく、自分なりの方法で「癒し」を届けたいと思ってる。


ちょっと話がずれてるかも…。

あのね、
ちゃんと自分の人生に向き合って、自分の人生を、今を生きることのできなくなってしまった人のエネルギーって、ちょっと違うと思ってるの。

「『ヒーラーになりたい』と思って誰かに教わったヒーリングをなぞったり、形にこだわってる人」って、大切なことをを見落として、ちょっと違うところを見てるんじゃないかなって思う瞬間がある。
うまく言葉で表現できないんだけど…、エネルギーにも、それが現れてるように感じる時がある。

「もともとそういう素質があったり、それをする流れにあった人」は、まっすぐに自分のエネルギーが乗っていて、その瞬間瞬間のエネルギーが詰まってる気がするの。そして、いい状態のときは、別の何かと繋がって、いいエネルギーを通してるな~って思う。


わたしはね、
「もともとそういう素質があったり、それをする流れにあった人」がみんな、常にいいエネルギーを発していて、常に素晴らしいエネルギーを発してるとは思ってない。
…というか、人は誰でも、壁にぶつかったり、悩んだりするときもあって…、常にいいエネルギー状態でいるわけじゃない。
ただ、生きていく中で、人と向き合っていく中で、それをコントロールするすべを身に着けたり、強い精神力をつけて、ブレないようになっていくんだなって感じてる。

そして、つらい状況にいても、疲れていても…、ヒーリングする瞬間になると、すっとその状態に入っていく感じ。
それはすごく特別な感覚だな~って、わたしは思ってる。




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