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山形が生んだ人類史上稀代の霊能者

ヒトは霊的なものに対し大まかに3つに分けられると思う。
・感じるし見える
・感じるが見えない(たぶん逆はない)
・感じないし見えない

私は感じるが見えないタイプ。なので怖いと思ったことはない。だからそういうスポットを教えていただくと、すぐ行ってみたくなる。今回は南陽市荻地区にある『仙縁石(せんえんせき)』へ行ってきた。

 明治から大正期にかけて「山形が生んだ人類史上稀代の霊能者」として活躍した高橋宥明(ゆうめい)上人が弘法大師から神通力を授けられたとされる「仙縁石」。

 宥明上人は安政5年(1858年)11月9日、南陽市荻赤山の生まれで、本名は高橋道四郎。山形市在住の語り部、池野信氏と同研究会の加藤次郎右衛門副会長の調べによると、三十二歳の時に、旧上山村まで使いに行った帰りに山中で「白い髭のお爺さん(弘法大師)に会い、腹痛で歩けないという老人を山頂まで背負ってやったお礼に小指ほどの白い蚕のような物と巻物一巻を渡されて神通力を与えられた」とされる。その白髭の老人が座っていた大きな石を「仙縁石」と呼び、地元の山元郷土史研究会が現在も保存整備している。

 道四郎はその後、老人の招きを受けて高野山に登り、数年籠もって「霊界で弘法大師の教えを受けた」後、宥明上人として故郷・荻赤山を目指すが、その道中で病気を治したり、水の上を歩いて旅人を驚かしたり、ひとすくいの水で「火災を消したり」と神変を発揮。帰郷後は、父親の病気を治して貰った上人を慕う信者の勧めで「千歳村の長寿庵の庵主」に落ち着く一方、諸国を巡歴して人助けを行い、大正3年3月24日に、生まれ故郷の荻赤山に戻って五十七歳で「示寂」している。

宥明上人の足跡探る ~南陽市吉野文化史研究会~

場所はここ。誰でもほぼ迷うことなく到着できるはず。

上記のストリートビュー通りに待避所があるので駐車は問題ない。

画像の中央付近を拡大すると下の案内板がある。ここが入口。

歩くこと約2分。仙縁石に到着する。

圧倒的な存在感。なのに近くまで寄って行っても拒絶されない感じ。ぐるっと一周すると所々に水晶が浮き出ていて神秘的。ここと真逆だったのは出雲大社の裏にある『八雲の滝』 全く近寄れなかった。人によって合う・合わないはあるんだな~

南陽市小滝 くぐり滝

仙縁石から遠くない『くぐり滝』へ。何の下調べもなく道路標識に書かれていたというだけで行ってみた。想像では「滝の裏側をくぐれるのかな?」と思い現地到着してみたが、そういう意味ではなかった。

木道に沿って滝の近くまで歩いて行くと空気が切り替わって、ひんやり涼しい。ここの空気を当院のエアコンまで直結できたら仕事捗るぞー。

下から見上げると手すりみたいのが見える。登れるのかな? 来た道を戻って少し砂利道を登るとあった。なるほど~ 滝の出口の裏側を見ることができるんだな。これが水の力なのだ。人間ごときが敵うはずがない。

今年は不安定な天候のせいにして山登りに行けてない。ただ、今回の訪問で少し気分がノッてきたぞ。来月計画立てよう。

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