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見えないものを信じるか?→YES

決して見えないもの=怪しい世界ではない。
誰もが持っている直感は科学的に証明できないが、過去の経験からそれを信じて切り抜けてきた人も多いはず。

本能の直感を無視し損得勘定のような計算に走ってしまうと、失敗や後悔が増えてしまうのも頷ける。動物や幼い子どもが愛らしく見えるのは本能のまま生きているからだろう。その無邪気さに触れると大人も素に戻れるはず。

え~い、会社なんて辞めちまえ

大人の社会のドス黒さが見えてきた20代前半に私は会社を辞めた。滝行か断食道場など何らかの厳しい修行によって甘ったれた自分を追い込みたい。(ドMなのか?)

突如「無の境地」を感じたくなり四国の地に足を踏み入れた。全行程約1,200kmを歩いて巡礼する八十八箇所巡りのお遍路をしてきたのだ。
仏教に対し特に興味があったわけではない。般若心経の意味もここで初めて知ったくらいだ。この旅によって整体の道を歩む決断をした38日間である。

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お接待という文化で助けられる

信じられないかもしれないが、働いてもいないのに出発時より帰る日のほうが所持金が多かったのだ。

四国にはお遍路さんに対する“お接待”という文化が根強く残っている。
例えばもうお年を召されていて自分の脚で歩けない方が「自分の代わりにお遍路さんへ食べ物や現金を渡しお参りを託す」という文化である。

有り難くいただいたお礼に自分の名前や住所を記した納札をお渡しする。「あなたのぶんも背負って結願(無事八十八箇所回ること)してみせますね」という気持ちを表すやり取り。どうも私はいただく確率が高かったようで、いつの間にか所持金が増えていた。

お金が減らなかった理由の一つに宿泊代をゼロで通し続けたことがある。具体的には全行程の20日間を野宿で夜を明かしたのだ。人はテントも使わず寝袋一つで何処でも眠れる。

ディラン・マッケイに憧れる

私のおでこには高校生時代から横ジワが3本ある。老化現象ではなく意図的につくったものだ。後悔はしていない。

1990年代『ビバリーヒルズ高校白書』というアメリカの連続ドラマが日本でも放送されて私はドハマリしていた。特に「ディラン・マッケイ」という登場人物のアウトロー的な生き方に憧れ、おでこのシワは彼の表情に似せようと努力を重ねたその結果。

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彼はサーファーで砂浜に寝袋を持って行き、そこで夜を明かす日もあった。誰も居ない早朝の海で波に乗るためだ。いいね~ こういう自由な感じ。
それを私も野宿として真似てみたわけだが、あまりお勧めできるものではない。波の音がうるさくて熟睡できないし、砂の上は夜かなり冷える。

経験上、土の上が一番。今でも各地を歩きながら(あそこで眠れそうだな)と瞬時に発見できる能力を持つ。外で寝るにあたり危険な箇所を自然と避けられるのも生きる能力の一つだと思っている。いつ役立つのか…。

野宿以外の18日間はというと寺の通夜堂14日、善根宿(一般住宅の部屋の一部をお遍路さんへ提供してくださる宿)3日、民宿1日という内容。
んっ? 民宿に泊まってお金を払わないなんてどういうことだ?

本場の台風を舐めきっていた

第21番札所 太龍寺にて。
台風が四国に上陸するだろうというニュースはラジオで聴いていた。日本海側の内陸で育った私にとって台風とは「大したことないもの」という位置づけだった。ところが本場は違う。下手したら死ぬ

標高505mの本堂へは長~い山道を登る。風はそこまでではなく激しい雨が靴の中を水浸しにする。ようやく登りきって(酷くならないうちに早く下ろう)と気が焦っていたのだろう、後ろに誰か居たなんて気づかなかった。

いきなり右肩を掴まれ「お前さん、もしや今から下ろうとしているのか?」と問われ「はい、そうです」と普通に返した。「ちょっとこっち来て見てみなさい」と下山道の出発点へ促されて行ったら愕然とした。

道が川になっている…。「もう一度訊くが、これを見ても下りたいか?」「すみません、考えが甘かったです」「歩き遍路も悪くないが命あってこそだ、こっち来なさい」と30人くらいの団体さんのところへ連れて行かれる。

改めて声を掛けてきたオジサンの素性がそこで分かった。毎年のようにお遍路のバスツアーを行うガイドさんだったのだ。お仕事柄、過去の太龍寺で何度かあった滑落事故を知っていて声を掛けずにいられなかったらしい。

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「歩き遍路にこだわりがなかったら我々と一緒にロープウェイで降りなさい」と提案され、意気消沈していた私はすんなり乗り込んだ。一言に「歩き遍路」と言っても2パターンあり、私のような野宿派と旅館派に分かれる。

毎日洗濯できるとは限らない野宿派の白装束は黄ばんでいるので一目で分かる。そのガイドさんにも当然見抜かれ、言ってもないのに「この台風の中、野宿なんて無理だからね」と私の考えを先越され釘を打たれる。

地上に着く頃には(屋外は諦めて扉付きのバス停を探さないとな)と決めていた。台風が直撃する土地柄のせいか、そういうバス停は意外と多いのだ。

「ロープウェイ代までお接待になり、ありがとうございます」お礼を言ってそのまま歩き始めようとしたとき「ちょっと待ちなさい」と呼び止められる。「私らはこのままバスで宿へ行くが、あなたも一緒にどうかね?」(お金が無いと正直に言おうか…)「せっかくですが」の声は一瞬で遮られ「お金のことは心配しなくていい、そう言われると思ってツアー参加者から了承を取った」またもや先回りして話を進めていたガイドさん。

なんと私の宿泊代を皆さんでお接待してくれたのだ。その夜、直撃した台風は言葉に表せないくらい恐ろしかった。宿が風で揺れている。こりゃ下手したら屋外で本当に死んでいたかも。

こちらのガイドさんとはまたご縁があり愛媛県の寺で再開。もちろん時間的に歩きとバスでは雲泥の差で別の団体さんを案内していた。「おぉー元気に歩いとるな~」「えぇお陰さまで、太龍寺では大変お世話になりました」
人のご縁とは不思議なものだ。出会いとは偶然ではなく必然である。

世の中には理屈の通らないことがたくさんある

順調に愛媛県に入って数日後、その日は通夜堂を諦めて野宿ポイントを探していた。札所まではまだ遠いし、夕方雨がポツポツと降り出してきたので。今日は無理せず休もう。こういうところが歩き遍路の自由なところ。

遍路道沿いに小さな無人のお堂があり、濡れ縁だが雨はしのげそうだ。早速寝袋を取り出して準備を整えているとエプロン姿の女性が近づいてくる。(無許可ではダメだったか)「あ~ら珍しい、お遍路さんね」

別に注意しに来たわけではなく、たまたま今晩行われる町内の寄り合いのため鍵開けに訪れたとのこと。「まだ時間もあるし家でご飯食べていきなさい」有り難く腹ごしらえさせていただく。若者の歩き遍路は基本常時空腹である。

集合時刻には本降り。既に約20人がお堂に入っていてかなりギューギュー。町内の長(おさ)らしき人がわざわざ私を紹介してくださり、私も周りへ軽く挨拶。「さぁさぁ列の後ろでは何だから」と最前列へ案内される。

長がご本尊の中央。私は向かって右端に座る。聞いたこともないお経が始まる。他の方もそれに倣って読んでいる。私だけ訳が分からずただ前を見て座っていた。(ここは取りあえず読んでいるふりだけしておこう)

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ふと視界にオレンジ色の揺らめきが入った。見上げると目の前のロウソクの火がメラメラと激しく燃えている。(エェー!? ありえないんだけど)
そっと中央の長の横顔を覗いてみると目を細めて涼しい顔で炎を見ている。

全ての流れが終わると長がこちら側に向かって座り直し話し始める。「今日は大変良い日でした。皆さんもご覧になった通り、久々にお遍路さんがお越しになられてお大師様(空海)も大変喜んでおられました」

そうなの? てっきり私だけお経読んでいなかったのでお怒りになられたのかと。ふ~む、変な話だ。本降りでお堂の出入り口は締め切っていて風が入る隙間もなかったはず。それに左側のロウソクは普通に灯っていた。

私は濡れ縁で寝るのでお堂を出るのが最後だったが、帰り際町内の人たちからは「有り難や~」と感謝され握手を求められた。冷静に考えれば超常現象だったわけだが意外と恐怖心はゼロだった。理屈が通用しない世界。
これが見えないものを信じることになったきっかけの一つである。




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