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猫派の人間が『少年と犬』を読んでみた

人という愚かな種のために、神が遣わした贈り物

人の心を理解し、人に寄り添ってくれる。
こんな動物は他にはいない。

馳星周さんの『少年と犬』

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こちらは司書さんからだいぶ前のバレンタインデーにいただいた小説。私にとってはチョコより嬉しいプレゼント。ありがたや~

司書さんはここ最近、小説の傾向が変わってきていることを嘆いていた。シーン毎に「主人公はこう思った」という表現が多くなったと。
「そこでどう思うかは読者の自由なんだから書かないで」

結局、小説は妄想の世界。そして間違いなく私を含めた本好きは妄想大好きなはず。自分で主人公の容姿や気持ちなどを妄想するのさ~
漫画との決定的な違いはそこにあるかな。

私は漫画も好きで、そろそろ本棚から溢れてきそうな悩みがある。少しだけ小説に近いシーンがあるのが井上雄彦さんの『スラムダンク』。

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コミック31巻の山王工業戦のラスト約30秒。桜木花道の「左手はそえるだけ・・・」を除き、プレーヤーたちのセリフは一切ない
作者の意図は分からないが、感情がより一層入る私の大好きなシーン。

歌詞のないラフマニノフの『ヴォカリーズ』という名曲がある。これはピアノ伴奏付きの歌曲で、歌う声楽家によって表現が異なる。聴くたび「良い旋律に歌詞は必要ないんだな~」と感じるのだ。

作者の世界観に入られるか

だいぶ前置きが長くなったが、なぜこんなことを記しているかというと全ての方にお勧めできる作品ではないから。特に手取り足取り「主人公がどう思ったか」を書いてほしい方にとっては期待ハズレになるだろう。

同じ文章を読んでいても気持ちの伝わり方は皆違う。読み取り能力の違いで解釈が変わってしまう本なのだ。

私は司書さんから「本好きと公言するならもっと高みに来いや!」と諭されているように受け取った。(決してそんなことを言う方ではない)

直木賞受賞作品なので読了された方が多いと思う。なので内容は割愛させていただく。

認知性の親を介護する姉に金を送るため窃盗団に手を貸す弟、自由奔放な夫を持って悩む妻、貧困と売春、過疎と老後問題、震災後の暮らし。
それぞれ傷つき悩む人々に犬はどういう存在になっていくのか…。

人なんて表面だけでは何も分からない。顔なんて皮膚を剥いだら誰でも同じようなもんさ。そんなところで人を判断しても意味はない。

『少年と犬』も先入観なく作者の世界観に上手く入ることができれば楽しい時間になるのではと思う。私はそうだった。
舌ではなく内臓で味わう感じ? 抽象的すぎるか…。

動物の小説は取り扱い注意

動物が登場する小説にトリセツがあるとすれば【決して新幹線内では読んでいけない】と記されるだろう。いくら周りから「あの人は本を読んで感動しているんだな」と思ってもらえても、むせび泣く姿はあまり見られたくないものだ。

動物ものは家で読むに限る。私はそう決めている。今回の犬も飼ったことがないのに別れのシーンは辛いものだ。

飼ったことがないと言ったが、正確には4歳頃のハナタレ小僧時代の写真には一緒に中型犬が映っている。全く記憶がない。

たまに院に顔を出す我が家の猫は4代目。多頭飼いはせず一匹に愛情を注いできた。決して多頭飼いを批判しているわけではない。こう記しておかないと面倒くさい世の中になっちゃったんだよな~

ここでバランスよく猫が登場する小説のお勧め。
有川浩さんの『旅猫リポート』

椅子で読んだらダメ。ポタポタ落ちてくる感情の粒に紙がふやけてしまう。
仰向けか横向きがこの本を読む姿勢の理想である。

有川浩さんの存在を知ったのは司書さんのお陰。
やはり出会いとは必然なのである。
画面越しではないリアルな出会いが今こそ求められている。


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