整体師を志すきっかけになった言葉
その日も朝から雨だった。ラジオからは昨日梅雨入りしたとの発表。なぜ梅雨の6月にお遍路に来たのかと自問自答しながら歩いていた。この日も30kmを歩く予定。これが普通で調子いい日は50km近くを歩く。
何の変哲もないアスファルトの歩道で「おっ」とつまずいてしまった。足元を見ると片方の靴ひもを踏んでしまったようだ。おかしいな~ 雨水を吸い込んだ靴ひもが何で解けるのか?
しゃがんでいるときに轍(わだち)の雨水をビシャーっと顔に掛けられたくない。たまたま解けた場所が店舗前だったので駐車場で結んでいた。すると「お遍路さ~ん、こっちきーや」と私を呼ぶ声。この方こそ私の人生を大きく変えていただいたFさん。
もうここでお遍路を止めようと思った
そこは物置小屋を販売する事務所。Fさんは60代後半の女性で電話番をしながら来店されたお客様に物置小屋の簡単な説明をするお仕事。こちらには2日半お世話になったが、滞在中一人もお客様は来なかったようなところ。
四国に来ることになった経緯を話していると、徐々に私の頭の中が整理されていくのを感じる。ちなみにFさんは仏門とは全く関係のないパートさん。お店の前で立ち止まらない限りお遍路さんへは声を掛けないとのこと。私も靴ひもさえ解けていなかったら間違いなく素通りしていたはず。
「自分の行動は全て行くべきところへ向かっているのよ。四国に来たのもあなたとの出会いも既に決められていること。出会いは偶然ではなく必然」
なるほど。私が会社員になっていなければお遍路に来ることもなかったはず。遠回りに見えるかもしれないが必ず通らなければならなかった道。物の見方や考え方を大きく変えさせていただいた。以下連連と記していく。
桜は春になると花を咲かせ人々を喜ばせる。夏は緑の葉で人々に日陰を作る。なのに人間は自分のためだけに生きているよね。道端のたんぽぽにも「美しい」と思える心を持てているかな。
いくらお金を持っていても心が変わらなければ無駄な歳を重ねるだけ。身体だけ先に行っても心が置いてけぼりでは何も得るものがない。
お線香は身を灰にしてまでも人に正しい一筋の道を教える。
ロウソクは身を溶かしてでも人を照らす。
花は拝む人へ「花のように清い心を持つように」と教えてくれる。
一番心を揺さぶられた言葉。
人間には二つの手があるでしょ。一つは自分のために使ってもいいんじゃない。もう一つは人のために使うべきなのよ。
ビビーン! 若かりし日の単純だった私はこの一言で整体師への道を志した。頭の中は「この手で辛くて困っている人たちの背中を押してあげるんだ」といっぱいになり、明日にでも米沢に帰ろうと思ったほど。
でも、ここはまだ第37番札所 岩本寺に行く途中。既に数十人からお接待を受けていて、その方たちへの約束を達成していない。約束を守らない男なんて最悪だ。是が非でも88番まで歩き続けることを心に決める。
それから19日後、無事に結願。時間的に余裕があった(無職になっていた)ので和歌山県の高野山奥の院まで行って参拝。もうやり残したことはない。こうして東京のカイロプラクティック学院に進むことになる。
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