空海級に到達した、在り方になされた対処
本当は休んでもらわなきゃなんだけど、自分たちが継続していっている日々の日課である発信によって、どうしても毎瞬毎瞬はらはらドキドキ気にしちゃっていること、わかってた。
それで出逢い、そこでコミュニケーションして沸かせていたのだから無理もないこと、だけど、それじゃひだまりの状態には正直おもんばしくないこと、本当はわかっていた。
晒され続けながら、その時、立てつづけてでうんざり感満載だった「ネット上での大パートナーシップ大会」に、超絶苦手意識を抱えているであろうことも、容易に想像がついていたはず。
三四番手として現れたのだから。
実際的身体状態は、あまりの負荷に、体感が乱れ危機的状態であるにもかかわらず、じぶん達で晒してしまっている以上、サポートもしながら宣伝的営業活動も、それを利用して最大限にやっていっていたこと、
素直といえば素直だけれど、対象者にとってどうか、こころの中で感じるものは少なからずあったはず。
ちなみに、繰り返しになるけれど、M氏の大々的ひな壇おりのお休み提案のとき、あの時は、発信状態をみればわかるように、
「災害にあうときは、災害にあるがよろしい」ではないけれど、自分の在り方、身体状態に合わせた動き、しっかりやすみ、思いっきり行動するの循環、ひだまり家でずっとなされていた、子ども達との柔らかくやさしくあったかい毎日であったため、投稿なんてとくに大きな負担ではなかった、あの時までは。。
ネット崩壊、大切なひとったちとのすれ違い
大好きなひとたちの、なんだか驚きの泥試合が、
ネット交流、ネット発信から出ていくことに、大きながっかり感、うんざり感を生んだ。
そのうんざり感のさなかに、行われた、【ネット上での】大々的プロポーズ
それがわかっているけど、結婚さえも2~3年越しで時真剣に結婚しようと感じていたにも関わらす、
直接まっすぐ伝えずに、
関わり、コミュニケーションさえも、晒し、楽しませる対象にしたこと。
わたしが、意識が、どれほどdownしたか。(一次元的感情などではなく)
そこが、一番、癒す必要があるところの一つでもあったのに、立ち位置上、更にネットを使い、さらに、進み続ける選択がともになされた。
負荷につぐ、負荷が、一番癒され蓄えられることが必要な当事者に重ね重ねて負わされ続けた。
そのおかげさまにより、作られた状態、意識、 それらすべてがどれほどの暴力か、そのすべてをあのやわらかい小さな存在に負わせていることのありえない暴力加減を、身をもって体感してもらう方法があるとしたら?
言葉では、文字では、繰り返し、繰り返し、
極力、他のかたたちには非公開で、しかも責めたい気持ちが大きいのではないむね誠意を込めた形づくりをほどこしたうえで、ひっしに伝えつづけていた、にもかかわらず、のことだったから。
そりゃ、身体も、意識も、暮らしも、安定にあって、行動ももうある程度パターン化されているのだから、それを、そのやり方を崩す気なんてないのもむりもない。
けれど、本当にそれで、いいのかな。。
深く、こころからのしあわせの場所にいるのかな。
何を選び、なにをなすのか、
自由に主体的に、表面的にそれを促しつつ、やはり黙っていられずに
あーでもない、こーでもないいろいろいろいろいろいろいろいろアドバイスをなかば観衆向けに流しまくったせいで、混乱させ選べなくしていたことも百も承知しれくれている。
また、応援しながら、こい、やれ、のアドバイスしながらも本心で、きっと本当は留まることが必要なことわかっていたのだ。
いま、
休め、といいつつ攻撃することによって、本当は必要な、休息、本当はある、つながりを、超えて、観衆が少しは満足し、追い風でも向かい風でも起きていてくれるようにした、攻撃とサポートの両方だし、
思考と、意識への、徹底攻勢
そうでもしなければ、朗らかでやさしく、意欲的で一生懸命ひとに自分に子どもたちに、丁寧で大切なくらし、閃きと発想から、一ミリでも世界が、宇宙が日本がより、楽しく、しあわせであることにエネルギーと意識を注ぎ続けているから。
みんなで施した混乱だから、
選んだものは、丁寧にサポートしてくれている、くれていく。
動けばまた、つながりなおす。
変化を、動きを、加速させる戦略。
観衆を多少納得させながら、わたしにも負うところを祓ってゆく、なかなか難しいプレイを、ありがとう、ありがとう、ありがとう
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?