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違いを超えてわかりあう、ということ

言語学者と、物理学者が言葉の通じない相手とこころを通わせ、わかりあうプロセスを観た。

体験の違い、感覚の違いがあり、「コトバ」が通じない感覚の理解にとても深く共感できる部分が大きい。

生まれる前から、生まれて、

そして、、、

不完全な身のまま、世界を人を疑いを知らず瞳を開く、人間という生き物

母という身体から、出産を通し、離れ

そしてひとり世界に船出する。

最初に、世界にどんな前提を持ち込むのか

そのbaseを通じて、ひとを、世界を、体験をどう捉え、何を感じ、

いかに解釈してゆくか

そんな違いを超えて、わかりあうために「共通言語」を構築してゆく。

体験をわかちあう。

それぞれの持つ「あたりまえ」が、どんなあたりまえに根ざし

それぞれにとっての世界は

世界観は、、

例えば、優しさとはなにか

価値がある、ない、とは

何を、どこをとおして感覚するのか

良いも悪いも

ただしさも、なにをして「そう」捉えるのかでしかない

答え合わせをするために必要なことは、ところは、

大切なことは、ところは、

自分にとって、相手にとって

何か、どこか。

じぶんを知って、相手をしってゆくプロセス

一番しあわせが、よろこびが

生まれ積まれ

育まれるバショ

つづく

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